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ベイサイドに宿る 十人十色の横浜愛

<Whales Column>青春の湘南カラー 大人になった横浜意匠

 

プロ野球意匠学研究家として知られる一方、60年来のファンでもある綱島理友氏。幼少期から追ってきた球団の横浜移転はその目にどう映っていたのか。
文=綱島理友 写真=BBM

長髪を揺らしながら好打を連発したシピン。青春時代にシンパシーを感じていた


自らと重なった強打者


 大洋ホエールズが川崎球場から横浜スタジアムに本拠地を移転したのは1978年。当時、川崎市では移転反対の運動があったようだが、もともと横浜市民で大洋ファンの私は、素直に「好きな球団が地元に来てくれる」と歓迎の立場だった。

 戦後の52年に竣工した川崎球場は、後年、ロッテオリオンズが本拠地にしていたころよりましだったが、施設は老朽化していた。そして正直言ってガラも悪かった。初めて行ったのは小学4年のころだが、そのときに活字にできないような汚いヤジが飛んでいて、ショックを受けた記憶がある。私の周囲の大人は常識的な人ばかりだったようで、「大人がこんなことを言うのか……」と驚いた。

 座席の指定も他球場はアルファベットに数字だったが、川崎球場は「いろは」と数字だった。球場に掲げられた球団旗は漁船の旗のようなデザイン。白地に赤で「丸は」。「TAIYO」と「WHALES」のアルファベットを左右に従えてはいたが、野暮ったい感じは否めなかった。

 70年代に誕生した球団歌も「勝利花」なんてタイトルのド演歌だったし、そのあと「行くぞ大洋」というマイルドな球団歌も登場するが、これも「なんだかなぁ」という感じの曲だった。60年代後半に一世を風靡した『巨人の星』では、もっさりとした左門豊作が所属するチームとして描かれた。しかし全体的に野暮ったくて泥臭い中・・・

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