夢のある選手である。投手として最速149キロの大型右腕で、打席に立てば、高校通算19本塁打の長打力。従来よりも低反発と言われる新基準の金属バットも問題なかった。高校入学時からプロを目標としており、意識レベルも超一流である。 取材・文=内田勝治 
歴代の先輩たちがプロ入りした育成システムに惹かれ、福岡大大濠高に進学した[写真=上野弘明]
山下舜平大に心酔
真っ黒に日焼けしながらも、ちょっぴり長くなった髪が、新たなステージへの旅立ちを感じさせる。柴田獅子は、甲子園の土を踏む夢を叶えることなく、高校野球生活を終えた。しかし今夏、投打の二刀流で強烈な咆哮を放った。獅子は次なる夢に向け、静かに牙を研いでいる。
「高校野球を引退して一通り落ち着いてから、次のステップに向けて高校の練習に入ってやらせてもらっています。福岡大会決勝が終わってからお盆ぐらいまでは寮から実家に戻って練習していましたが、そこが息抜きだったかなと思います」
帰省中には、あと一歩で逃した甲子園の中継も見た。中でも、自身と同じ長身右腕の報徳学園高・今朝丸裕喜の投球は「吸収できるところが多かった」という。
「一人ひとりの打者に対してのカウントの作り方であったり、決め球の真っすぐのキレがものすごかったです。自分も練習して、同じように、またそれ以上にできるようにやっていけたらなと思います」
柴田は福岡県のほぼ中央に位置する飯塚市で生まれ育った。小学2年時から野球を始め、庄内中時代は飯塚レパーズに所属。当時は「そこまで飛び抜けてはいなかった」と振り返るが、マウンドでは135キロを投げ、打っては中軸で通算10本塁打をマークするなど、投打で注目された存在だった。福岡大大濠高・八木啓伸監督が、柴田の第一印象を語る。
「彼を初めて見たのは、中3のときですね。体が大きくて、強いストレートを投げることができていたので、魅力的な投手だなという風に思いました」
福岡大大濠高は
浜地真澄(
阪神)や
坂本裕哉(立命大-
DeNA)、
三浦銀二(法大-DeNA)ら、多数の好投手をプロに輩出。特に
山下舜平大(
オリックス)は、柴田のあこがれでもあった。2020年、新型コロナウイルスの影響で夏の地方大会、甲子園大会が中止となり、福岡大会の代替となった県高野連主催の福岡地区大会で力投する姿に、大きく惹かれた。
「高校生で150キロを超える球と、あれだけの落差のあるカーブを投げているのは、自分の中ですごく印象に残りました。大濠は投手の育成もすごくて、プロに行かれている先輩方も多いので、そこで野球ができるというメリットも踏まえて進学を決断しました」
二段モーションが追い風
高校入学後は、1年夏からベンチ入り。4試合中2試合に登板すると、2年春はエース・鯉川晴輝(駒大)に次ぐ存在として県制覇、九州大会4強に貢献した。一見、順風満帆のスタートに切ったかに思われるが、柴田の中では違った。
「1、2年生のころはケガも多く、2年の夏には肘を痛めて、2カ月ぐらい野球ができない時期もありました。ケガをしない大切さというのを学べたのが、その後の練習に生きてきたかなと思います」
肘痛も癒え、エースナンバー「1」を着けて臨んだ2年秋の福岡大会、東海大福岡高との準決勝が、自身にとって「ターニングポイントになった」と明かす・・・
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