今年で創立90周年を迎えた球団にあって、草創期のエースには伝説の投手たちの名前が並ぶ。その過程で生まれた背番号18の伝統──。脈々と流れるエースの系譜を紐解く。 写真=BBM
※年、成績は球団在籍時の通算 『18』の伝統の始まり

沢村栄治[1934-37、40-41、43]
105試合登板、63勝22敗、防御率1.74
「沢村賞」にその名が残る沢村栄治から始まった球団初期のエースの系譜は、そのまま球界の伝説の投手たちだ。300勝投手の
スタルヒンは199勝が
巨人でのもので、四球か三振かの荒れ球ながら2度のノーヒットノーランを成し遂げた
中尾碩志(輝三から改名)は戦前から戦後の第2次黄金期を支え、同時期には史上初の完全試合を達成した
藤本英雄もいた。2リーグ分立後は南海から移籍した
別所毅彦が在籍13年で通算310勝のうち、球団歴代で最多となる221勝を挙げている。
今に続くエースナンバー、背番号18の系譜は中尾から始まったと言っていいだろう。1939年の入団から引退まで背負い続け、
藤田元司が・・・
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