2022年夏の甲子園。仙台育英高(宮城)は東北勢悲願となる、初の全国制覇を遂げた。前年のエースの取り組みが「文化」として後輩に継承され、現在も同校投手陣のバイブルとなっている。中学2年間、高校3年間をともに過ごした指揮官と教え子が過去、現在、未来を語り合った。 取材・構成=岡本朋祐 写真=BBM 
伊藤樹[早大/投手]、[右]須江航[仙台育英高/監督]
秋田から宮城の私立中へ
毎年12月末、早大・伊藤樹は母校・仙台育英高に立ち寄ってから、実家の秋田へ帰省する。東京から夜行バスで仙台へ移動。早朝に到着すると、すぐに多賀城キャンパス内の真勝園グラウンドへ移動。約3時間、汗を流し、校務から戻ってきた仙台育英高・須江航監督と再会した。 伊藤 自分にとって、6年間、育英で取り組んできたことが基盤になっています。脳内はほぼ、5年間教わった須江先生からの教えが擦り込まれています。
須江監督 1、2年時と比べて、今年は大人になりましたね。年末、用事があり、早稲田さんの安部球場に足を運んだんです。樹の姿を見ると、自信がついたのか、「1年、やってきた」という空気感がありました。周りもそういう目で見ている。樹の活躍は後輩の励みになっています。樹と初めて会ったのは、小学6年時だね。
伊藤 はい。
楽天ジュニアに入って、声を掛けていただきました。10月ぐらいから月2回ほどの練習があり、あるとき、育英の室内練習場に呼ばれたんです。
須江監督 投手と捕手をやっていましたけど、やはり、印象に残るのは投手。小学生は投げられることが大事ですからね。バッティングは“当て勘”が良かった。
伊藤 2学年上の大栄さん(
大栄陽斗、中大-トヨタ自動車)と一緒にノックを受けたんですが、ちょっと、レベルが違うな、と……。どちらかと言うと、秋田の田舎で一緒にやってきたメンバーと中学も一緒にプレーすることを望むタイプでした。
須江監督 中学はどこでプレーしようとしていた?
伊藤 自分たちが中学に入学するタイミングで、新しくシニアのチームが立ち上がる、と。でも、そのタイミングで秀光中・須江先生からお誘いがあり……。僕が行かないとなったら、1期生になるはずだったメンバーもばらけました(苦笑)。
須江監督 樹には才能があった。一発でプロになれるかは判断できませんでしたが、野球を職業にできるかな、とは思いました。最終的に後押ししてくれたのは?
伊藤 父です。早稲田に進学すると決めたのも、父の助言が大きかったです。入学後、中学2年秋に捕手から投手に転向。捕手にこだわりはありましたが、同期に木村(木村航大、日体大)がいましたので……。
須江監督 私はスローイングがきれいな捕手を好むんですが、樹はまさに、糸を引くような送球をしていました。木村は捕球、ブロッキングで上回っていたので、投げられるという、長所を伸ばす意味でも樹を投手に。手先が器用でしたね。
伊藤 須江先生は3年生進級の際に、高校(系列の仙台育英高)へ異動しました。全中で優勝する目標があったので、これは、だいぶ、痛いなと思っていました。
須江監督 西巻(
西巻賢二、
DeNA)がいたときも日本一の確信がありましたが、樹の代も手応え十分。ただ・・・
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