ドラフトで指名されれば、それがすべてかもしれない。ただ、その中でも呼ばれる順番によって、その後の人生が大きく変わることもある。1975年ドラフト当日の朝、「巨人1位、中畑」との報道を目にしたものの、実際には3位だった。それでも「3位で入ったからこそ今がある」とも語る。運命に導かれたドラフトを、半世紀を経た今、振り返る。 取材・構成=早川大介 写真=BBM 
駒大からドラフト3位で入団した中畑。一軍定着まで4年かかった
肩透かしのドラフト当日
──1975年ドラフトでは、ご自身では指名されるという感覚はありましたか。
中畑 いや、俺自身はそんなに高い評価をもらっていたわけじゃなかったんだよ。同期に
二宮至、
平田薫がいて、2人の評価が高かった。「おそらく1位で指名を受けるだろう。下手すりゃ競合するんじゃないか」と。俺は2位か3位ぐらいで指名される可能性はある、ということで、3人がドラフト候補生として取り上げられていたんだよね。ところがドラフト当日、「巨人1位・中畑」って報知新聞が一面の見出しを打ったんだよ。それをマネジャーから見せられてさ。それまでの評価はそんなに高くなかったのに、ドラフト当日に読売系の新聞が「ドラフト1位か」なんて見出しを出したら驚くだろ。そこから一気に緊張が始まった。「本当にそうなのか」という気持ちになってね。
──周囲の雰囲気も変わりましたか。
中畑 どんどん合宿所にマスコミが集まってきた。ドラフトが始まるころには、下手したら100人ぐらいいたんじゃないか。3人が1位で指名されるかもしれないっていう状況だからね。3人ともきちっと詰め襟を着て、椅子に並んで座って指名を待っている。完璧な状況がつくられたわけよ。駒大野球部が始まって以来の雰囲気だったんじゃないかな。
──そしてドラフトが始まります。
中畑 始まった瞬間、巨人が指名したのが「1位、
篠塚利夫、銚子商業」。えっ、誰? って(笑)。俺は自分の名前が呼ばれるものだと思っていたからさ。ものすごい緊張感の中で聞いたことのない名前が出てきて、「俺の存在はどうなったんだ」みたいな。それだけじゃなく、1位候補と言われていた二宮と平田も呼ばれない。あれだけ評価が高かったのに、結局1位では名前が出てこなかった。
──ドラフトそのものへの不信感も生まれましたか。
中畑 あったよ。ドラフトの評価って、どこで、どういうふうに決めているんだろうって。あとになって考えれば、もう七不思議だよな。「ほかの選手を獲るために、俺たちが餌にされたのかな」とか、大人の世界の汚さみたいなものも感じた。「絶対こんなんで負けてたまるか、バカヤロー」みたいな反抗心も生まれたしね。そのときの俺たち3人は最悪の気持ちだった。それは間違いないな。
──そして2位でも呼ばれませんでした。
中畑 もう2位が終わったころには、3人で将棋を打ってたよ(笑)。マネジャー室でね。マスコミはどんどん1位指名された選手のところに散らばっていって、あっという間に減っていく。2位まで終わっても3人とも出てこない。「そんなことある?」って。二宮と平田の評価が高かったから、余計にショックが大きくて。もう3人でグレてたんだ(笑)。
──そんな中、中畑さんは3位で巨人から指名されます。
中畑 忘れたころだよ。もう周りも静まり返ったころに・・・
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