場をつくり、仲間をつくり、起点をつくる天才だった
文=山崎祥之[プロ野球選手会・企画/広報プロデューサー] 2004年の球界再編問題では、選手会長の古田敦也などとNPB側に対して粘り強く交渉を続け、12球団を維持することに尽力した
病のことは何度も話をしてきたし、気持ちにふたをしながら事後の段取りも淡々とこなしてきた。“その日への覚悟”は積み上げたつもりだったが、そんなものは大切な人を持っていかれた喪失感を埋めるには何の役にも立たないことも思い知らされた。
“あまりに大きな存在”という表現は定番的だが、実際そうなのだから仕方がない。「球界の常識だけで考えてはダメだ」と選手と球団のフェアな関係を追求すべく弁護士が加わり、情報発信で選手会の認知度や存在価値を浸透させるという課題で、自分も加わったのは16年前。閉鎖的な球界で外部ブレーンを加える選択に踏み切ったのも、好奇心旺盛で“やってみなければ分からない”が信条の局長だからこそ。選手だけの利益ではなく、球界の未来を見据えた活動方針を言葉にし発信。選手会を記事にすると記者が球団から出禁になる時代にあってメディアとの交流にも力を入れ、記者や関係者に理解者が増えていった。
松原さんは場をつくり、仲間をつくり、起点をつくる天才だった。スタッフは球界再編、選手保留制度、WBC出場など、あらゆる問題に取り組んだが、文化や信念が異なる者同士でぶつかり合うこともあり、ストレスも少なくなかったと思う・・・
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