手袋を締め直して、ヘルメットを取ってスイング2回、ポケットを触わりながら、とんとんとバットを叩きながらボックスイン。DeNAでも一、二を争うほどファンの声援を浴びるベテランは、残りの野球人生を代打一本でやっていくことを決意した。 取材・構成=滝川和臣、写真=BBM 打席に入るまでの壮大なルーティンの旅

「僕はガンガンいくタイプ。いいボールは初球から振っていく」。このフルスイングが後藤の代名詞だ
代打の切り札・
後藤武敏のルーティンは、朝7時半に始まる。
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
小学1年生の息子を玄関先で見送ると、バッターボックスに立つまでの儀式の幕が開ける。戦いはすでに始まっているのだ。しばらくリ
ラックスして自宅で過ごした後、全体練習の2時間前に横浜スタジアムに到着するように愛車で出発。車内では音楽を流しながら、打席での姿をイメージする。
プロアスリートが生活におけるリズムに気を遣うのは広く知られている。決まった時間に起床して、決まったルートで試合会場に向かい、いつもと同じアップメニューを黙々とこなすことで、フィジカルとメンタルの両面でベストコンディションに持っていくよう心がける。プロ野球は140試合以上を戦う長丁場のペナントレースなだけに、なおさら“変えないこと”を重視する選手は多い。かつて、
イチローが毎朝カレーを食べていたのは有名なエピソードだ。
「赤信号が多くてリズムよく走れない日は、途中のコンビニで時間をつぶしたりします。ゲン担ぎですよ。当然、栄養ドリンクを買うために立ち寄るコンビニもいつも同じです」 そう語る後藤の1日はこうしたルーティンがいくつも積み重なって、試合に向かって進んでいく。試合終盤に用意される1打席だけのために。
2012年に
西武からトレードでDeNAにやってきたことが大きな転機になった。西武では一軍と二軍を行ったり来たりするシーズンが続いていた。極度の不振に陥り、実戦から遠ざかることも多かった。「あのまま野球人生が終わっていたかもしれなかった。移籍したことで1年目のような気持ちでプレーできた」と当時の
中畑清監督がくれたチャンスに応えようとバットを振った。横浜高では
松坂大輔(
ソフトバンク)、
小池正晃(DeNAコーチ)らと甲子園で春夏連覇を経験。高校時代を過ごした場所での再出発だった。
DeNAでは一塁を守り、打つほうでは主軸を担ってきたが、昨季からはほぼ代打専任で起用され、打率.206、打点11、本塁打4、得点圏打率.208。層の薄い代打陣のなかで数字以上の存在感を放った。
「代打一本でやったのは15年が最初です。シーズンを通して感じたのが、代打でも自分を犠牲にしなければならないこと。終盤どうしても1点が欲しい場面。犠牲フライでもいいんですけど、守備位置を見てゴロを打って1点を狙うこともある。だから打率がすべてではない。そうした大切さを実感しました」 後藤が打席に立つのは試合の終盤が多い。7回以降になるとどの球団も信頼の厚いセットアッパーとクローザーを配置しており、そうした手強い投手との対戦でコンスタントにヒットを打つのは容易ではない。結果のみを意識して、打率ばかりを追っていたら自分のバッティングを見失ってしまうだろう。後藤が「打率よりは、打点を意識したほうがチームのためになる」という自己犠牲の境地に立った理由もそこにある。
「そりゃあ、最初は新聞に載っている自分の打率は気になりましたよ。15打席くらいヒットが出ないときもあったし、打席に入る前には電光掲示版に数字が表示されるから嫌でも目に入ってしまいますからね。でもシーズン終盤には気にならない心境にはなった。代打という仕事を考えた場合、そうした役割もあるなと思えるようになったんです。ボテボテの凡打であっても、自分の打席で1点が入ればうれしいものです」 
「GOMEZ」を背負いバッターボックスに立つと、横浜スタジアムはひと際大きな声援に包まれる
ターニングポイントは呉昇桓からの2発

昨年の7月3日、阪神の守護神・呉昇桓から起死回生の同点弾。サヨナラ打を放った石川とお立ち台に立った
後藤のルーティンは続く。横浜スタジアムに12時半に到着すると、体のケア、アップ、室内バッティングの順に計1時間半を使い、その後で全体練習に入っていく。練習後は食堂で食事を取る。
「うどんを食べて打てなかったら、翌日はソバに変えます」 18時に試合が始まると、ティーなど実際にボールを打つことはせずに、食堂横のスイングルームでの素振りのみ。再び体を作り始めるのは5回からだ。横浜スタジアムはベンチ裏の通路に人工芝が敷かれており、ダッシュができるようになっている。ここでのウォーミングアップで汗をかく。「走者が出たらいくぞ!」とベンチの
坪井智哉打撃コーチから声がかかると、さらにダッシュを何本か入れてキレを作り、もう一度、素振りをして名前が
コールされるのを待つ。コンビニで買った栄養ドリンクはここで投入。トレードマークともなったガムを一粒、口に放り込むのもリズムの一つだ。
「ガムを噛むのは西武からDeNAに来てから。当時、何かを変えなきゃと思って試みたことの一つです。噛むとリズムが生まれたんです。結果もよかったので以来、続けています。普段口に入っているのは3粒。打席に向かうときは一粒追加して4粒でいくのが僕のルーティン」 ベンチ横の通路を歩いているときは「ちょっと行ってくるわ」とまだ緊張感は感じさせないが、一歩グラウンドに踏み出した瞬間にスイッチが入る。ひと際大きくなったスタンドからの声援を背に、後藤が打席に立つ。
昨季の全76打席で印象深かった2打席がある。7月3日の阪神戦(横浜)、9回裏に呉昇桓から右中間へ起死回生の同点2ラン、直後に
石川雄洋のサヨナラ打を呼んだ。翌日の同カードでも再び虎の守護神から2夜連続となるソロを右翼ポール際に放った。
「最初の同点弾はカットを反応で打った。次の日は真っすぐをフルスイング。どの球団もクローザーには手強い投手が並んでいるので、一番大切なのは気持ち負けしないこと。受けていたらダメです。こちらから向かっていく姿勢を見せないと」 特別、足が速いわけでもなく、守備が秀でているわけでもない。武器は勝負強いバッティングとフルスイングだ。2〜3年前から代打で生きる覚悟は決めていた後藤にとって、あの2打席はターニングポイントとなった。
「今後の野球人生において非常に意味のある2打席だった。代打でやっていく自信にもなった」 後藤は残りの野球人生で勝負をかけたいという代打を「職人の持ち場」と表現し、その難しさをこう語る。
「大切なのは自分をコントロールすることです。毎打席が同じ状況なら緊張しないでいける。勝っているとき、負けているとき、同点のとき、追加が欲しいときなど場面はさまざまだけれど、いつも同じ状態で打席に迎えるようにすること。そのためにルーティンを重視する。それを淡々とこなし、淡々と打つんです」 S館山の言葉をきっかけに見直したトレーニング

不満が残った2015年シーズン。今季は万全のコンディションでシーズンを迎えるつもりだ
開幕前のケガによる実戦経験の不足もあり、思うようなシーズンとはならなかった昨季は、登録名を「後藤武敏G.(ゴメス)」へと変更。
ニックネームのゴメスは、数年前に練習の待ち合わせに遅れてきた
松本啓二朗が「ごめーんす」と謝りながら登場したのを、横浜高の後輩でもある石川が「後藤さんにゴメスはないわ」と冗談交じりに冷やかしたのが元ネタとなっている。
そんなやり取りが気にいった後藤は、それ以来ゴメスを名乗り、「G」を登録名に入れ、ユニフォームの選手名も「GOMEZ」とした。さらに、今季は「昨季の数字が納得できていないので、少しでも前にという気持ちを込めて、『後藤G武敏』とGを名前の真ん中に入れたい」と決意を新たにする。
現在35歳。チームでは立派なベテランだ。高校時代に甲子園を沸かせた1980年生まれ“松坂世代”のチームメートやライバルたちは、ユニフォームを脱ぐ選手も多くなってきた。15年限りで
森本稀哲(元
日本ハムほか)、
木佐貫洋(元
巨人ほか)らが一線を退いた。横浜高時代、チームメートだった小池は3年前に引退し、現在はDeNAでコーチを務めている。
正直に言えば、ここ数年は体の衰えとともに、自分の思い描くプレーのイメージと実際のプレーにギャップを感じることもある。昨季は春のキャンプでの肉離れがシーズン中に影響を及ぼした。それだけに、このオフは都内のジムで体幹を意識したトレーニングや、床反力を使ったプログラムを組んで、ケガをしない体を作りに励む毎日だ。原動力となったのは“松坂世代”の仲間、
ヤクルト・
館山昌平とのLINEでのやり取りだった。
昨季、館山は3度目の右ヒジじん帯再建手術(トミー・ジョン手術)を乗り越え、7月11日のDeNA戦(神宮)で復帰後初の勝利を飾った。試合後に後藤が『感動したよ。復帰おめでとう!』とメッセージを送ると、『松坂世代はまだ終わらないという気持ちで、つらいリハビリに向かっていたよ』と返事が来たという。
「僕らにとっても松坂世代は特別なもの。そういう気持ちはずっと大事にしていきたい部分ですね。若手から見たらおじさんかもしれませんが、来年36歳。まだまだいけるという気持ちのほうが強い。老け込むには早い」 球団創立と同じタイミングで移籍してきた後藤は、横浜DeNAベイスターズの歴史とともに野球人生を歩いている。5年目の今季は
ラミレス新監督の下、新たなシーズンとなる。08年西武で日本一を経験しているが、久しく遠ざかっているクライマックスシリーズ(CS)、日本シリーズの緊張感をもう一度味わいたいという渇望は強くなる一方だ。しかし、ベテランは「連勝することもあれば、連敗することもある。そこに一喜一憂せずに続けてやれるかどうか」と地に足をつけている。
チームが球団初のCSに向けて一丸となるとき、自分はその中でどんなパズルのピースを演じられるか。「残りの野球人生、代打1本で勝負したい」と宣言する男は、若手には負けたくないという意地、“松坂世代”のプライドを持ちながら、16年もフルスイングをする決意だ。そして、その一振りのために入念なルーティンを怠ることはない。
後藤武敏・心に残っているシーン

何とも言えない悔しさが残った。15年シーズン最終戦となった10月3日の巨人戦[横浜]は、中畑清前監督が指揮を執ったラストゲーム。2点差で迎えた最終回。二死から代打で起用された後藤は三ゴロ。勇退する監督の花道を飾ることはできなかった。「僕にもう1回チャンスをくれたのが中畑監督だった。監督の最後の試合で、最後のバッターになってしまった悔しさは、今でも心に残っている」
PROFILE ごとう・たけとし●1980年6月5日生まれ。静岡県出身。176cm84kg。右投右打。横浜高では1年からベンチ入り。高校3年のときに松坂大輔らとともに、甲子園春夏連覇を成し遂げた。法大から03年ドラフト自由獲得枠で西武入団。パンチのある積極的な打撃で1年目から一塁のレギュラーに定着する。2011年いっぱいで西武からDeNAへトレード移籍。昨年から貴重な右の代打としてチーム内では確固たる地位を築いている。