府中東高では79年のセンバツ大会No.1投手と呼ばれ、翌80年にドラフト1位で広島へ。その後、血のにじむような努力で打者転向を成功させ、カープの四番を張ったことも。12年の現役生活を退いたあと、その倍、24年続く「お好み焼き屋」で、日々、全力を注いでいる。 取材・文=坂本匠、写真=BBM 
投手時代の1枚。ミスターパーフェクト・外木場義郎の背番号14を引き継ぐ期待の右腕だった
選手時代から思い描く夢
現役引退後のキャリアに、お好み焼き屋を選んだ理由は単純明快だ。
「食べたいから(笑)。僕は広島の府中市っていうところの出身ですが、広島人って1週間に2回はお好み焼きが食べたくなるんですよ。分かりやすいでしょ?(笑)」 宮崎県宮崎市で『“本格広島”かたおか』を営む
片岡光宏が、豪快に笑った。味はもちろん、この片岡の竹を割ったような性格、人柄もあり、多くの球団が春季キャンプに訪れる今の時期は、「予約が必須」というほどのお客さんでにぎわいを見せる。現役選手からOB、取材陣、キャンプ見学に来たファンとその顔ぶれはさまざまだ。「本当にありがたいね」。ニッコリとほほ笑み、感謝の言葉を口にしたが、ここで一転、表情を引き締めた。
「キャンプは言ってみれば特需。1日、1日が勝負です。プロ野球選手って、『1年契約で厳しい世界』と言われるけど、ケガや病気をしても1年間は保障される。でも商売人はケガ、病気をしたら無収入で、いわば1日契約。長くお店をやらせてもらっているけど今でも『1日、1日』の気持ちは変わらないね」 そうして、24年間、お店を守り抜いてきた。
お好み焼き屋の経営は、選手時代から思い描く夢でもあった。例えば現役晩年となった大洋での90、91年のことだ。椎間板ヘルニアに苦しみ、腰の痛みを和らげようと思いついたのが、椅子に座り食卓にヒジを突いて前のめりとなる体勢。この体勢でできることは限られ、この時、経済書や経営にまつわる本・資料を読み漁った・・・
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