通算525本塁打を放った希代のスラッガー、清原和博が“堕ちた”のはなぜなのか。さまざまな立場の方々の証言で探っていく企画。今回は清原が入団する前年まで西武監督を務め、球界のご意見番でもある広岡達朗氏に話を聞いた。 森監督が野球以外の指導をしていれば……
清原(和博)が今回、問題を起こしたのはプロ入団時にしっかりと教育できなかったことが、すべての始まりですよ。PL学園でスター選手として甲子園で活躍。ドラフトでは意中の
巨人に入ることができず、西武に入団したわけだが、やはりまずしっかりと社会人としての常識を教えなければいけなかった。そして、プロ野球選手は何かということを。だから、清原だけを責めるわけにはいかないだろう。
清原に限らず、高卒でプロに入った選手はまだそういった教育を受けてはいない。入口できちんと教え込まないと、のちのち悪影響を及ぼしてしまう。特に清原は類稀なる野球センスで1年目から打率3割をマークし(.304)、31本塁打を放つなど、大活躍した。確かに清原は技術面では非常に優れていたのは間違いない。オールスターか何かで見たとき、落合(博満)の打撃をいとも簡単にマネして、実に巧みに打っていたのに驚いたことがある。
しかし、すぐに結果を出したことで、球団、首脳陣が清原を甘やかしてしまったのが間違いだった。母親が清原の自宅の部屋に入ったとき、お金がそこら中に散らばっていたという話も聞いたことがある。そのほかにも常識外のことは多々あったはずだ。野球人に一人も悪い人間はいない、というのが私の考え。だから、道を踏み外す危険のあった清原をきちんと正せなかった球団、首脳陣に問題があったのではないか。
その中でも特に当時の指揮官だった
森祇晶監督の責任は大きかったのだろう。清原は森監督の悪口は絶対に言わない。それは清原にとって耳障りなことを口にしなかったからだろう。森監督が野球だけではなく、立派な人間になるために必要なことをたたき込むべきだった。そのようなことを教育しておけば、清原も引退までに打撃3冠のタイトルを何か取っていただろう。あれだけの能力を持ちながら「無冠の帝王」のままで終わってしまったということは、そういった点にも理由があったはずだ。
それと、担当記者。われわれが現役のころは担当記者も選手に厳しい視線を送って、時にきついことを書かれたりしたが、そういった記者も減ってきたのではないか。清原が何かをやっても見て見ぬふり。選手を変に持ち上げてばかりいる、メディアにも責任の一端はあったのかもしれない。

1年目から結果を残した清原。このころからしっかりと教育をしていれば……
巨人でもその伝統などを教え込むべきだった
清原が入団する前年(1985年)まで私が西武の監督をやっていたが、もしそのまま続けていて、一緒にユニフォームを着ていれば決して甘やかすことはしなかった。例えば・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン