球史に残る敬遠が生んだドラマの当事者である。かつて新庄剛志に敬遠球をサヨナラ打された槙原寛己。「脳裏から離れない屈辱」と言うが、それでも敬遠申告制には反対の立場をとる。 「敬遠で4球投げることで試合の流れも変わる。私は反対です」
私は反対です。試合時間短縮を目的としていますが、裏付けがまったくない。敬遠は機会が少ないですし、これによってどれだけの時間短縮になるの、と。選手の体を守るという大義名分があるコリジョンルールや併殺崩しの危険なスライディング禁止とはわけが違う。日本の野球になじまないし、導入されることはないのではないでしょうか。
当然、敬遠も野球の一部。4球投げることによって、試合の流れが変わることがあるのです。例えば意外とプロに入ってきたばかりの投手は敬遠のやり方が分からない。だって、力があるからプロに入るわけでアマ時代に敬遠をすることなんてない。だから、いざ敬遠となると手元が狂うこともある。さらに、敬遠で4球、緩く投げてしまった後、次の打者と対戦する際、フォームの感覚がおかしくなる場合もある。それが原因でコントロールを乱して痛打されることもあります。
ネクストで待っている打者も目の前で敬遠されている、その4球の間で心境も大きく揺れ動くことでしょう。もし、打者が屈辱に感じていたら、グッと気持ちが燃え上がってきて実力以上のパワーを発揮するかもしれません。
とにかく、しっかりと4球投げる敬遠によって、野球というスポーツ特有の“間”が生まれる。それによってドラマが起きる可能性は大いにあるわけです。そして、私も球史に残る「敬遠ドラマ」の当事者となりました・・・
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