ここでは歴代の優勝決定試合がいつだったのかを戦い模様を簡単に振り返りつつ掲載する。前回のセに続き、今回は1950年からスタートのパ・リーグ編だ。 ※[]内の数字はダブルヘッダーの1試合目、2試合目。球団名右の☆は日本一 1950年 毎日☆ 10月25日●対東急4-2(後楽園)
新球団ながらパの盟主的存在だった毎日が初代王者に。ただ、主力は
別当薫をはじめ
阪神からの引き抜き組。マイナスイメージで人気はいま一つだった。
1951年 南海 日米野球開催のためシーズン途中で公式戦打ち切り(9月23日優勝決定)
1952年 南海 10月9日●対大映6-1(大阪)
7球団総当たりを9月17日まで行い、その後上位4球団総当たりという変則方式。南海は毎日と競って、この大映との最終戦で負ければ、同率優勝決定戦だった。
1953年 南海 10月6日●対南海0-2(大阪)
首位が28回交代する大混戦から抜け出したのが南海。チーム盗塁228と自慢の機動力を生かし、勝利を重ねた。最後は敗戦も対象の大映が負けでV決定。
1954年 西鉄 10月19日●対阪急3-0(平和台)
開幕から飛び出した西鉄だったが、18連勝もあった南海に一時は逆転された。それでも最後は地元で阪急を下し球団初V。
三原脩監督が宙に舞った。
1955年 南海 10月6日●対西鉄9-7(平和台)
昨年に続き、南海、西鉄がまたも激闘。しかし9月以降南海が飛び出し、一気に差を引き離した。最後は敵地平和台での直接対決2試合に連勝し、優勝決定。
1956年 西鉄☆ 10月6日●対阪急7-1(後楽園)
一時は南海に7.5ゲーム差をつけられたが、9月に入り、三原監督が新人・
稲尾和久らをフル回転させ急上昇。最後は阪急相手に大勝し、逆転優勝を決めた。
1957年 西鉄☆ 10月13日●対東映6-3(平和台[2])
圧倒的な優勝候補と言われながらも、ケガ人続出でやや出遅れた西鉄だが、夏場から快進撃。優勝決定は東映とのダブルヘッダー。連勝で連覇を決めた。
1958年 西鉄☆ 10月2日●対近鉄7-2(平和台[2])
南海が新人投手・
杉浦忠の活躍で飛び出した。しかし西鉄は猛烈な巻き返しで最大11ゲーム差を大逆転。MVPは33勝の稲尾。
中西太は本塁打王、首位打者。
1959年 南海☆ 10月4日●対大毎2-0(後楽園[2])
杉浦による、杉浦のためのシーズンだった。69試合に投げ、38勝4敗、防御率1.40をマークした。優勝決定試合も5回からピシャリと抑え勝利投手に。
1960年 大毎 10月5日●対西鉄4-0(平和台)
40歳の
西本幸雄新監督の下、ミサイル打線で快進撃。6月には投打がかみ合い、18連勝もあった。優勝決定試合も
田宮謙次郎、
榎本喜八が1本塁打ずつ。
1961年 南海 10月15日●対東映(駒沢[1])
終盤は東映とデッドヒート。最後東映は6試合のうち4勝で優勝だったが、直接対決5試合の南海が連勝し、最後はダブルの1試合目で優勝を決めた。
1962年 東映☆ 9月30日●対大毎3-3(東京[1])
高校2年で中退し入団した
尾崎行雄が快速球で旋風を起こした。この日は開始前、南海が近鉄にサヨナラ負けし優勝決定。試合は延長10回引き分けだった。
1963年 西鉄 10月20日●対近鉄2-0(平和台[2])
エース・稲尾の不振もあって一時は首位南海に14ゲーム差をつけられた西鉄が奇跡の逆転Vを果たした。最後のダブルが1勝1敗なら決定戦も連勝でV。
1964年 南海☆ 9月19日(阪急4-6東京)
阪急とのデッドヒートとなった。優勝決定の日、南海は試合がなく、阪急が延長10回、東京に敗れて優勝が決定した。助っ人
スタンカが26勝でMVPに輝く。
1965年 南海 9月26日●対東映(大阪[2])
大独走の南海がV。最後は連勝が条件の東映戦ダブルだったが、しっかりものにした。優勝決定時点で残り試合は19試合、2位東映に22.5ゲーム差だった。
1966年 南海 10月9日(東映2-1西鉄)
西鉄と空前のデッドヒート。10月6日、南海が最終戦に敗れた時点で、西鉄が残り4試合に全勝すれば、同率の決定戦となる。しかし9日、その初戦で西鉄が敗れた。
1967年 阪急 10月1日●対東映8-11(西京極[2])
マジック2で迎えた東映とのダブルヘッダーで初戦勝利。2試合目は8回日没
コールドで敗れたが、7回に対象の西鉄が敗れ、すでに優勝は決まっていた。
1968年 阪急 10月11日●対東京3-2(西宮[2])
阪急、南海がまったく同率で最終戦。15時スタートの阪急は2対2の延長11回裏、
矢野清のサヨナラ弾で勝利。対して16時開始の南海は、その8分後に敗れた。
1969年 阪急 10月19日●対近鉄3-2(藤井寺)
後半戦は三原脩監督率いる近鉄とV争い。互いに4試合となったところでゲーム差なし、しかもすべて直接対決だった。阪急はここから3連勝して優勝決定。
1970年 ロッテ 10月7日●対西鉄5-4(東京)
6月から一気に抜け出した。マジック1で迎えた西鉄戦は0対3の劣勢から逆転しての勝利。10年ぶりのVに熱狂したファンが一斉になだれ込み、大騒ぎに。
1971年 阪急 9月28日●対ロッテ10-4(東京)
「花の(昭和)44年(入団)組」と言われた
山田久志、
福本豊、
加藤秀司ら若手が主体となって快進撃。最後、マジック2で迎えた対象のロッテ戦に勝利し、V決定。
1972年 阪急 9月26日●対南海6-3(西宮)
阪急が序盤から快走。8月10日にはマジックが点灯した。優勝決定試合は福本の世界最多盗塁更新105も懸かっていたが、見事新記録達成でVに花を添えた。
1973年 南海 10月24日●対阪急2-1(西宮)
前期南海/後期阪急(2期制)
この年から前後期制が導入。前期は南海Vも後期は優勝の阪急に12敗1分と沈む。それでもプレーオフは3勝2敗で勝利。「死んだふり優勝」と言われた。
1974年 ロッテ☆ 10月9日●対阪急4-0(県営宮城)
前期阪急/後期ロッテ
後期Vのロッテは仙台を準本拠地として移動が日本一ハード。それでも
金田正一監督の下、お祭り野球で勝ち進み、プレーオフでも3連勝。最後は
村田兆治が完封勝利。
1975年 阪急☆ 10月20日●対近鉄5-3(藤井寺)
前期阪急/後期近鉄
前期を制覇した阪急は、かつての指揮官・西本幸雄率いる近鉄とプレーオフで激突した。2勝1敗とした阪急は3対3の同点から9回表に2点を奪いV決定。

75年から4年連続リーグ優勝と黄金時代を築いた阪急[1975年]
1976年 阪急☆ 9月30日●対南海5-2(西京極)
前期阪急/後期阪急
前期独走Vの阪急だったが、後期は開幕から出遅れた。しかし9月に入り快進撃。最後は山田が完投に26勝目で、後期とプレーオフなしのシーズンV決定。
1977年 阪急☆ 10月15日●対ロッテ7-0(県営宮城)
前期阪急/後期ロッテ
プレーオフ第1戦は阪急が18対1の大勝だったが、ここからロッテ投手陣が踏ん張り2勝2敗で5戦目にもつれ込む。最後は阪急・
足立光宏が完封勝利でV。
1978年 阪急 9月27日●対ロッテ4-1(川崎)
前期阪急/後期阪急
前期優勝の阪急だが、後期は近鉄と激闘。9月23日、近鉄が勝てば優勝の直接対決に勝利した阪急が続くロッテ戦に勝利し、1試合残しての前後期制覇決定。
1979年 近鉄 10月16日●対阪急2-1(西宮)
前期近鉄/後期阪急
前年と同じ顏合わせのプレーオフとなる。近鉄はリリーフ・
山口哲治のフル回転で2連勝。3戦目も7回途中から登板し、接戦をピシャリと抑え、球団初Vを飾った。
1980年 近鉄 10月18日●対ロッテ13-4(大阪)
前期ロッテ/後期近鉄
プレーオフは1戦目
井本隆、2戦目
鈴木啓示が完投で近鉄連勝。3戦目は近鉄打線がロッテ投手陣に襲い掛かり、大勝。
平野光泰が打率.750でMVPに。
1981年 日本ハム 10月13日●対ロッテ8-4(後楽園)
前期ロッテ/後期日本ハム
ロッテ、日本ハムと史上初の関西勢が絡まぬプレーオフは、
江夏豊を
広島から獲得した日本ハムが3勝1敗1分でV。最後は
木田勇、江夏の左腕リレーだった。
1982年 西武☆ 10月14日●対日本ハム7-5(後楽園)
前期西武/後期日本ハム
広岡達朗新監督の下、管理野球も話題となった西武が前期制覇。プレーオフは江夏を足で揺さぶり攻略し、最後は本塁打5本飛び交う空中戦を制し、埼玉初V。
1983年 西武☆ 10月10日●対阪急5-4(西武[1])
11年ぶりの1シーズン制。「1位と2位が5試合で引っくり返る可能性があればプレーオフを行う」とあったが、前年王者西武は危なげない戦いで大独走V。
1984年 阪急 9月23日●対近鉄8-4(藤井寺)
三冠王の
ブーマーが打ちまくってVにけん引したシーズン。優勝は試合途中、対象ロッテが西武に敗れ決まった。0対4からの逆転勝利で優勝に花を添える。
1985年 西武 10月9日●対近鉄6-3(藤井寺)
世代交代を進めた西武が独走で決めた。ただし優勝決定の際、広岡監督は痛風の治療のため長野県の治療院に。試合後の祝勝会ではビールかけもなかった。
1986年 西武☆ 10月9日●対ロッテ10-0(西武)
森祇晶新監督の下、新人・
清原和博の活躍もあって優勝。終盤は近鉄と抜きつ抜かれつの激闘となり、129試合目の決定となる。
工藤公康の完封勝利だった。
1987年 西武☆ 10月10日●対近鉄9-7(藤井寺)
序盤出遅れたが夏場に首位に立ち、粘る阪急をジワジワ引き離す。V決定の近鉄戦は西武先発・
東尾修の乱調もあってホームラン飛び交う打撃戦となった。
1988年 西武☆ 10月19日(ロッテ4-4近鉄)
全日程を終えていた西武が待機する中、川崎球場でロッテ-近鉄が死闘を繰り広げた。「10.19」である。ダブルで連勝なら近鉄Vだったが、勝利、引き分け……。

敗者近鉄ベンチ。「10.19」の激闘は忘れられない[1988年]
1989年 近鉄 10月14日●対ダイエー5-2(藤井寺)
終盤は大混戦となったが、10月12日、西武とのダブルを
ブライアント4連発で連勝した近鉄が、最後はダイエーを破り、前年の「10.19」の雪辱果たす優勝。
1990年 西武☆ 9月23日●対日本ハム9-3(西武)
リリーフ陣の充実もあって、またも独走のV。決定試合は初回、日本ハムが工藤から3点も、その裏、
秋山幸二が満塁弾で逆転。工藤も立ち直り、大勝となった。
1991年 西武☆ 10月3日●対日本ハム13-1(西武)
マジック1で迎えた日本ハム戦で、西武打線は、初回から相手先発・
西崎幸広に襲い掛かる。スイッチの
デストラーデが左で3ラン、右で満塁弾と大暴れした。

80年代後半から90年代前半の西武は、選手たちにもリーグ優勝は通過点、日本一こそ本当のゴールという雰囲気があったという[1991年]
1992年 西武☆ 9月30日●対日本ハム14-5(東京D)
またも独走で8月9日にマジック37が点灯。V決定日はマジック1で迎えた。初回7点奪うも、その後2点差まで詰め寄られたが、再び打撃爆発で大勝した。
1993年 西武 10月13日●対ロッテ3-2(千葉M)
マジック1が点灯してから長かった。近鉄に1敗1分。ダイエーに連敗時にはファンの罵声が飛んだ。迎えたロッテ戦は、小刻みの継投で接戦を凌ぎ、難産のV。
1994年 西武 10月2日●対近鉄8-2(藤井寺)
マジック1で迎えた近鉄戦。西武打線は5回までに8点を奪い、早々に勝負を決めた。終盤苦しむも、最後は地力の差を見せつけ、パ史上初の5年連続リーグV。
1995年 オリックス 9月19日●対西武8-2(西武)
阪神淡路大震災で本拠地神戸が大きな被害を受けたオリックスが、
イチローを中心にVに突っ走る。地元Vはならなかったが、胴上げでは涙を流す選手も多かった。
1996年 オリックス☆ 9月23日●対日本ハム7-6(神戸)
マジック1で迎えた日本ハム戦。今後こそ地元Vと燃えたオリックスは、5対6の9回裏二死からD.Jの同点弾、さらにイチローの左翼線へのサヨナラ打で劇的優勝。
1997年 西武 10月3日●対ダイエー2-1(西武)
前年16年ぶりに勝率が5割に届かず、FAで清原が抜けた新生西武のVは、劇的だった。1対1で迎えた延長10回裏、先頭打者の
鈴木健がサヨナラ本塁打。
1998年 西武 10月7日●対近鉄5-2(西武[2])
9月23日の段階で1ゲーム差に4チームがひしめく大混戦から一時首位と10ゲーム差があった西武が抜け出す。最後はマジック1のダブル2試合目で勝利。
1999年 ダイエー☆ 9月25日●対日本ハム5-4(福岡D)
王貞治監督5年目の栄冠は、福岡移転後初の優勝でもあった。工藤公康、秋山幸二の西武からの移籍組と
城島健司ら若手がかみ合った。リリーフ陣は鉄壁。
2000年 ダイエー 10月7日●対オリックス1-0(福岡D)
連覇直前でやや足踏みをし、この日は福岡ドームの最終戦だった。試合は投手戦となり互いにゼロ行進が続いたが、6回裏に四番・
小久保裕紀がソロ本塁打。
2001年 近鉄 9月26日●対オリックス6-5(大阪D)
防御率最低の投手陣を“いてまえ打線”が支えての優勝。この試合は2対5とリードを許して9回裏、無死満塁から代打・
北川博敏の満塁弾でサヨナラ勝ちのV。
2002年 西武 9月21日●対ロッテ0-4(千葉M)
伊原春樹新監督率いる西武が大独走。マジック1で迎えたデーゲームのロッテ戦は完敗したが、ナイターで対象のダイエーが日本ハムに引き分け、宿舎で優勝決定。
2003年 ダイエー☆ 9月30日●対ロッテ13-10(千葉M)
投打がかみ合い全球団に勝ち越してのV。マジック1のこの試合は本塁打なしの大打撃戦。途中対象の西武が敗れ、優勝決定。球団史上最強の年とも言われる。
2004年 西武☆ 10月11日●対ダイエー4-3(ヤフーD)
この年からプレーオフ導入。第1ステージから勝ち上がった西武は勝率1位のダイエーを第2ステージで3勝2敗と破り優勝(プレーオフの覇者が優勝だった)。
2005年 ロッテ☆ 10月12日●対
ソフトバンク3-2(ヤフーD)
バレンタイン監督の下、“ボビー・マジック”と呼ばれた自在の采配で勝率2位。第1ステージで西武、第2ステージでソフトバンクを破り、優勝(前年同様)。
2006年 日本ハム☆ 10月12日●対ソフトバンク1-0(札幌D)
SHINJOラストイヤー、北海道移転3年目で優勝。シーズン勝率1位でプレーオフ第2ステージでも1戦目勝利の後、2戦目は劇的なサヨナラ勝ちで優勝。
2007年 日本ハム 9月29日●対ロッテ9-1(千葉M)
プレーオフとリーグ優勝がこの年から切り離される。V決定は4ゲーム差で2位のロッテとの直接対決。接戦も9回表に6点で終わってみれば9対1の大勝。
2008年 西武☆ 9月26日●対日本ハム2-0(札幌D)
渡辺久信監督の下、伸び伸び野球で快進撃。優勝は日本ハムに完封負けも2位のオリックスが敗れ、決定。おかわり君こと
中村剛也が46本塁打でキングに。
2009年 日本ハム 10月6日●対西武5-4(札幌D)
優勝決定試合はもつれる。まず日本ハムが4点を先制するが、西武打線も反撃。9回表に同点に追いつき、延長戦に。結局12回裏、
金子誠の犠飛でサヨナラ。
2010年 ソフトバンク 9月26日●対
楽天3-8(Kスタ宮城)
西武がVに走ったが、終盤失速し、ソフトバンクと大接戦に。優勝決定は最終戦、ソフトバンクは楽天に敗れたが、試合途中西武が日本ハムに敗れ、優勝決定。
2011年 ソフトバンク☆ 10月1日●対西武3-0(西武D)
ソフトバンクが大独走。133試合目の決定試合は投手戦となったが、6回に西武・
岸孝之から3点を奪い、先発・
岩嵜翔からの必勝リレーで完封勝ちを飾った。
2012年 日本ハム 10月2日(西武3-5ロッテ)
栗山英樹監督1年目のVだった。途中ソフトバンク、西武との三つ巴もあったが、抜け出す。この日、日本ハムは試合がなかったが、西武が敗れ優勝決定。
2013年 楽天☆ 9月26日●対西武4-3(西武D)
田中将大に尽きるシーズンだった。開幕から無傷の24連勝は球史に残る金字塔だ。マジック2で迎えたV決定試合では途中対象のロッテが敗れ、4対3の9回裏にマウンドに立ち、田中がセーブを挙げている。

大黒柱・田中で楽天優勝[2013年]
2014年 ソフトバンク☆ 10月2日●対オリックス2-1(ヤフオクD)
オリックスとの激闘が続き、最終戦で、勝てばソフトバンクの逃げ切りV、負けたらオリックス逆転Vの直接対決になった。試合は延長10回のサヨナラ勝ち。
2015年 ソフトバンク☆ 9月17日●対西武5-3(ヤフオクD)
工藤公康新監督の下、大独走。勝ち星も90まで届き、17日の優勝決定は今季、抜かれるまでパ史上初だった。
柳田悠岐がトリプル3、首位打者でMVPに。
2016年 日本ハム☆ 9月28日●対西武1-0(西武プリンス)
一時期首位ソフトバンクに11.5ゲーム差をつけられるも15連勝もあって追い抜き、最後は二刀流でチームをけん引した
大谷翔平が1安打完封で勝利投手に。