
2018.3.10 阪神対中日[甲子園]
3月10日、甲子園で行われた阪神対中日戦のオープン戦。試合前、1月4日にすい臓がんのために70歳で亡くなった元中日、阪神、楽天監督、星野仙一氏の追悼セレモニーが開催された。この追悼試合では両軍ともに星野氏が背負った番号「77」を着けた。 福留が恩師・星野氏に捧げる二塁打を放つ
背番号「77」を背負った
金本知憲監督は、2018年シーズンに向けて決意を口にした。
「2003年の喜びを、やっぱり選手に味わわせてやりたい。僕は、あの人に呼ばれたわけであってね。星野さん以外なら、誰が監督であっても(阪神に)来ていないと思う。同じタイガースの監督という立場で感じるところはあります」
2002年オフにFA宣言をした金本監督は、当時の星野監督に口説かれ阪神に移籍。その年に三番打者として18年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。そして今、その恩師と同じ立場にいる。15年オフの阪神の監督就任時には大きな後ろ盾になってくれた。そしてこの日、背中には「6」ではなく「77」の背番号を全員が背負い「僕には似合ってないけれど」と笑った。

阪神は全員が星野氏の阪神監督時代の「77」を着けて追悼試合に臨んだ。金本監督も「似合わない」と笑いながら「77」を背負った/写真=代表撮影
中日時代に星野氏の下で活躍したベテランの
福留孝介外野手も、この試合で今季初のオープン戦出場。追悼試合に志願しての出場だった。
「プロに入って、監督の前で初めて打ったのが二塁打。今日も二塁打なので、監督が見ているんだろうなという思いがありました」
第2打席の3回。二死から左中間を破ったその二塁打は、さすがベテランの貫録の一打だった。思い返せば19年前。中日に入団したプロ1年目の1999年4月4日
広島戦[ナゴヤドーム]で放ったプロ初安打も二塁打だった。当時の監督が星野氏だった。「何か縁があるのかなと思います」と振り返った。
試合は、星野氏の思いが通じたのか、両軍とも粘り2対2の同点で試合は終わった。「特別な日なんで勝ちたかったですけど、今日は勝ち切れんかった」と金本監督は残念がったが、その雄姿を見守ったファンは05年以降のオープン戦では2番目に多い3万2165人。さらに球場の一塁側に設けられた献花台には、開場時に400人の列ができ、1万6913人(翌11日は8077人)が花を手向けた。

3月10日、11日には甲子園の場外に献花台が設けられ2日間で約2万5000人ものファンが献花に訪れた/写真=早浪章弘
「やはり星野さんの偉大さと言いますか、存在の大きさといいますか、あらためて本当に感じて、あらためて残念です。応援してくれているチームだと思うから。それは、応えたいですね」とその思いを胸に、あの星野氏が巻き起こした03年のときと同様の歓喜と感動をファンに届けるため、13年ぶりのリーグ優勝を目指し采配を振るっていく。