週刊ベースボールONLINE

野球界を支える舞台裏の仕事人

中日ドラゴンズ球団職員 フランシス・ルイス 野球界を支える舞台裏の仕事人

 

近年の中日ドラゴンズを語る上で、投打に助っ人ドミニカン(または中南米のスペイン語圏の選手)の存在を無視することはできない。彼らをグラウンド内はもちろん、プライベートでも親身になって支えるのが来日22年目となるフランシス・ルイスさんだ。通訳はもちろんBC、BPまでこなす、大谷翔平(エンゼルス)も真っ青の4刀流のスーパー裏方である。


練習生で来日。始まりは広島


「今日は、よろしくお願いします」。インタビュールームにやってくるや、丁寧な日本語であいさつするフランシス・ルイスさんに、ついつい日本語、お上手ですねと応じると、「ありがとうございます。でも、通訳が仕事ですから」と返されてしまった。ジャパンドリームを夢見て広島の地を踏んでから22年。日本で過ごした時間は間もなく人生の半分になる。まずは来日当初の話を聞こう。

 私はドミニカ共和国出身で、プレーヤー(捕手)でした。17歳のときにドミニカにある広島のカープアカデミーに入り、1997年、20歳のときにテスト生として広島へ呼ばれました。いまでいう育成選手ですね。2年間、支配下契約をしてもらえるように練習をしていました。ただ、契約はしてもらえず、98年にドミニカに帰る直前に「選手としての契約はしませんが、球団としては裏方として残ってほしい」と誘われました。プレーも続けたかったですけど、日本のプロ野球の練習方法や仕組み、教育に興味があって、もっともっと日本のことを知りたかったので、「OKです」とお願いをしました。これが裏方人生のスタートです。

 最初の契約はブルペン・キャッチャー(BC)。当時はまだ日本語は話せませんでしたからね。学び始めたのは裏方として働き始めてからで、由宇球場(※広島二軍の拠点)のブルペンで、当時の社長、今の松田元オーナーに片言の日本語であいさつしたら、「お前、日本語できるんか!」と。「少し、少し」と返すと、「日本語学校に通いたいか?」と聞かれたので、「行きたいです」と言うと、「球団が全部出すから行ってくれ」と。それから、広島市内にある日本語学校に毎週月曜日に通うようになり、本気で日本語を勉強するようになりました。松田さんには感謝ですね。

 カープにはテスト生として2年、裏方として8年間、お世話になりました。少し日本語を覚えてきたときに、ドミニカ人担当の通訳も任せていただいて。契約には入っていませんでしたが、投げるのは好きなので頼まれたらバッティング・ピッチャー(BP)もしていました。

好きな言葉は以心伝心。日本の野球大好き


 広島の地を離れ、名古屋で新生活を始めたのが07年のこと。カープ時代も由宇球場の人気者だったルイスさんは、名古屋でも真面目な仕事ぶりで首脳陣、選手はもちろん、ファンにも愛される存在となっている。

 広島を06年末で退団することになり、ドミニカの実家に戻り、しばらく経った日のことです。中日の関係者の方々が選手のスカウトに来ているという情報を耳にしました。しかも、僕の実家のすぐそばに、今の監督の森繁和(当時は投手コーチ)さんと長谷部裕(当時バッテリーコーチ)さんが来る、と。「会いに行ったほうがいいよ」と教えてくれる人がいて、すぐに用意をして球場に向かいました。スタンドで日本語で話しかけたら、ビックリされて(笑)。なんだコイツ?と思われたと思うんですが、長谷部さんが僕のことを知っていたみたいで、「ああ、広島の通訳ですよ」と。すぐにその場で「どうにか中日で雇ってもらえませんか?」と頼みました。聞いてみるから少し待っていてくれと言われ、でもなかなか連絡がないから、諦めていたら、中日のみんなが帰国した後、桂川(桂川昇、中日通訳)さんから電話があって、「来年は中日でお願いします」と言われて、07年から中日にお世話になることになりました。

 中日入団当時はBC兼通訳という契約。それからいろいろな仕事が増えて、シーズン中はメーンは通訳(投手担当)、BCですが、時間があればBPもしますし、手が空いているときは道具を出したり、打撃練習中はボール拾いも大切な仕事です。オフになればドミニカや中南米に選手の視察に監督やコーチが行くので一団についていって、アテンドをしたり、現地で通訳をしたり、情報を集めたりとお手伝いをしています。4刀流?そうですね(笑)。

 18時からナゴヤドームで試合が行われる場合の1日の流れも紹介します。7時半〜8時に起きて、外国人選手の自宅に向かい、選手をピックアップして一緒にナゴヤドームに入ります。球場に到着するのは13時くらい。到着すると、外国人選手が「室内で打ちたい」ということがあるので、野手担当の桂川さんが忙しかったら、僕が投げてあげます。その後、場合によっては14時からの早出組に対してBP。外国人選手がブルペンに入らないのであれば、その後の全体練習中は外野で球拾いをやったり、キャッチボールのパートナーを務めます。ピッチングするのであれば、通訳をしながら受ける。これが基本の流れですね。

アルモンテと会話をするルイス氏。現在は投手担当だが、助っ人たちの心の拠り所でもある


 このほかにもセ・リーグは投手も打席に立ちますから、室内でバント練習やバッティングのために投げたり、カードの頭にはそのカードで外国人選手が投げる予定がある場合は、一緒にミーティングに入り通訳をします。治療のためにトレーナー室にも一緒に行きますし、基本的には外国人選手の身の回りのお世話全般が仕事ですね。試合中もベンチかロッカーで待機し、試合後は取材対応をして、帰りは選手をタクシーに乗せ、その日の仕事は終了です。だいたい帰るのは22時〜23時ですね。

 この仕事で一番大変なのは、言うことをきかない選手がいた場合です。中日に来てからはほとんどないですけど、たまにいるので、それが一番困ります。例えば、コーチのアドバイスを、選手が受け入れない場合。コーチが言っていることを理解させなければいけないので、それがこの仕事で一番難しいですね。サインをなかなか覚えてくれない選手も困ります。毎日、サインを出してあげてテストをしたり。最近の選手はまじめで、やる気がある選手ばかりなので、あまりないですけど。仕事をしていて良かったなと思うのは、もちろんチームが勝ったとき。選手が楽しんでプレーしているとき、チームに貢献できているときはうれしいです。

 僕の夢は日本の野球をドミニカの子どもたちに教えることです。もちろん、アメリカの野球も良い野球ですが、やっぱり、野球というのは力だけではないよ、というのを伝えたい。多分、ドミニカ人が日本のやり方を覚えたら、ものすごい選手が増えると思います。日本を経由してメジャーで活躍したドミニカ人、いっぱいいますよね。それに、選手寿命も延びると思う。いつか実現させたいなと思っています。

中日ドラゴンズ
□編成部国際渉外担当兼通訳兼BC兼BP
□42歳/勤続12年(広島では練習生時代含め10年)
<主な職務内容>
◎シーズンオフの外国人選手獲得時の通訳兼交渉ほか
◎外国人選手のケア、通訳
◎バッティング・ピッチャー、ブルペン・キャッチャー

ナゴヤドーム(ナイター時)での1日のスケジュール
8:00 起床。ギターを弾く
11:00 選手のお迎え、ドームに出勤
13:00 外国人選手のティー打撃。チーム全体の特打でBP
14:00 全体練習の手伝い。
外国人選手のブルペン投球。外国人投手のバント練習のBPなど
16:00 ミーティングに参加(通訳)、外国人選手の治療の付添
18:00 ダグアウトまたはロッカーで待機
21:00 ヒーローインタビュー&取材対応(通訳)
22:00 帰宅


PROFILE
フランシス・ルイス●1976年5月14日生まれ。ドミニカ共和国出身。現役時代は捕手。93年にカープアカデミーに入所し、97年にテスト生として広島へ(2年間)。支配下契約はならず、99年よりBCに。その後、日本語を学び、通訳を兼ねる。06年限りで広島を退団するも、07年より中日に通訳兼BCとして契約、現在に至る。
HOT TOPICS

HOT TOPICS

球界の気になる動きを週刊ベースボール編集部がピックアップ。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング