
先輩の柳裕也[中日]と同じく、最終学年は主将としてチームをけん引する
「将来性」の高校生に対し、大学生のドラフト1位候補には「即戦力」が求められる。プロから最上位の評価を得るため、
森下暢仁は進学した。
大分商高では1年夏、控えの内野手として甲子園の土を踏んでいる(出場機会なし)。1学年上には左腕・
笠谷俊介(
ソフトバンク)がおり、2年夏は三塁手だった。同秋からエースも11月中旬から右肩第一肋骨に痛みが出て、12月には左肩第一肋骨に派生。その後、病院で視察を受けると骨折が判明した。翌年1月下旬までの時間が、森下の分岐点。スクワットなど下半身強化に着手し、また毎晩、丼2杯を食べて一冬で体重8キロ増の70キロにアップした。
翌年3月の練習試合(対鹿児島実高)で、自己最速・・・
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