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追憶と哀愁のロストボールパーク

日本生命球場、駒澤野球場、西京極球場 追憶と哀愁のロストボールパーク

 

ボロだけど味わいがあって大好きだった球場、父親に初めて連れて行ってもらった球場、仕事帰りによく立ち寄った球場、初めてデートした球場──。その幾多の景色は私たちの記憶の中に息づいている。いまはもうなくなってしまった追憶と哀愁のロストボールパーク。野球ファンに愛された11球場の情景を辿る。
各球場の年数は開場年と閉場年。紹介した球場はフランチャイズ終了球場。一部現存球場あり

日本生命球場 別名「森ノ宮球場」


ナイター設備は近鉄にとって重宝した。スコアボードは手動式だった


 名前のとおり、もともとは日本生命が従業員の福利厚生のために建設したもので、日生球場の愛称で親しまれた。プロ野球の近鉄は沿線にある藤井寺球場を本拠地としていたがナイター施設がなかった。そのため、1958年からこの球場を準本拠地として使用することに。大阪のど真ん中にあり、その地名から「森ノ宮球場」とも呼ばれた。交通の便は抜群だったが、ネックとなったのは球場の狭さ。スタンドからグラウンドの近さはファンに好評だったが、本塁打量産球場としても知られる。収容人員も3万人に満たないため、1979、80年の日本シリーズは・・・

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