兵庫・小野高、慶大で活躍し、東京六大学リーグ戦では早大・和田毅(ソフトバンク)と真剣勝負を演じた元フジテレビアナウンサーで現スポーツアンカーの田中大貴は、1980年生まれの「松坂世代」の1人。そんな野球人・田中が、同年代の選手たちをプロ野球現場の最前線で取材した至極のエピソードを、コラムにして綴る連載第16回です。 桐生第一高では3年夏に甲子園に出場。1回戦で明徳義塾高と対戦した
慶應打線が手も足も出ない
「巡り巡って、今、一緒のチームにいる。本当にうれしい。自分が引退しても、こんな形で大輔と会えるなんて……」
現在、
中日ドラゴンズで広報を担当する
小林正人の声は躍るように弾んでいました。
「あの夏、開会式で怪物・
松坂大輔と写真を撮ってもらったんだよ。あのとき以降、不思議と会うことも話すことも一度もなかったんだけど」
1998年の全国高等学校野球選手権大会。群馬県代表の桐生第一高で甲子園出場を果たした小林は、同じ投手として脚光を浴びる横浜高・松坂を羨望の眼差しで見ていたと言います。ただ記念撮影をお願いした甲子園大会の開会式以降、松坂と小林との接点はありませんでした。
松坂はその後、
西武ライオンズにドラフト1位で入団。一方の小林は東海大に進学し、のちに
読売ジャイアンツに入団する
久保裕也(03年自由枠)とともに、東海大の投手2枚看板として活躍していました。
僕も大学時代、横浜にある日吉の慶大グランドで東海大時代の小林投手と対戦(オープン戦)しました。
「今日は、久保じゃなくて小林ってピッチャーが投げるみたいだぞ」
「左? サウスポー?」
「おい、めちゃくちゃ体がデカいぞ(181センチ)」
ゲーム前の慶應側のベンチではこんな会話がなされていました。
当時、ドラフト1位(自由枠)候補であった久保は、大学球界では超有名で、すでに巨人への入団がウワサされる大学No.1右腕として名をはせていました。ただ、「小林正人」という投手は・・・
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