今回の特集では、渡辺元智、中村順司、高嶋仁といった名将各氏にご登場いただいているが、甲子園に大きな足跡を残した名監督はほかにも数多い。その横顔を振り返りつつ、高校野球の監督について考えてみたい。 中村順司×渡辺元智のコラムはこちら(→中村順司×渡辺元智 スペシャル対談 伝説の名将が語る 昭和&平成甲子園を戦った名監督) 高嶋仁のコラムはこちら(→高嶋仁インタビュー 伝説の名将が語る 「甲子園のない人生は考えられない」) 「何かいいやり方はないですか? いろんな学校を取材されてるならご存じでしょう」。高校野球の指導現場向けの雑誌担当のとき、ある監督さんに聞かれた。その学校の状況を知っているわけでもないので答えに窮したが、甲子園にあと少しの監督でも、指導法は霧の中なのだなあ、と思ったものだ。
その点、「甲子園の名将」と言われる監督は、自らの方法論を確立した成功者だ。50代の筆者だと、最初の「高校野球監督」のイメージは、池田高の蔦文也元監督だ。情熱で選手を鍛え上げ、「やまびこ打線」で、金属バット時代の方法論を確立した。そのイメージと対極なのが、「木内マジック」で取手二、常総学院高を日本一に導いた木内幸男元監督だ。どんな戦力でも、手持ちの素材を操り、最大限に効果を挙げる。「いや、マジックなんてないんですよ。当たり前のことをやってるだけで」とはご当人。とにかく野球を、選手をよく見て、先を読む。ベンチでつぶやく展開予想はズバズバ当たったという。

木内幸男[常総学院高・元監督]
名監督にはこのようにキャラの立っている人が多いが、実際と違うイメージが流布してしまうことも。明徳義塾高の馬淵史郎監督は、1992年夏、星稜高戦で
松井秀喜5連続四球を指示したために「カタキ役」を振られたが、実は策士イメージとは異なり、むしろあけすけでユニークな発言の多い監督だ。馬淵監督にしてみれば、松井への四球は、ただ勝利への確率に従っただけ。社会人野球をバックボーンに持つ監督には、冷静に野球を突き詰めるタイプが多い。

馬淵史郎[明徳義塾高]
他方、とにかくあふれる情熱で選手を引っ張っていくタイプの名将は、エキセントリックな練習とともに語られることが多い。智弁和歌山高の高嶋仁前監督は、練習試合で負けたナインに「学校まで走って帰れ!」と命じ、そのあとまた練習したとか、「日本一の平安ファン」を自認する原田英彦監督率いる龍谷大平安高の、ノーミスで行かないと一日中終わらないボール回しとか。北海道に初Vをもたらした駒大苫小牧高の香田誉士史元監督の雪上ノックとか……。
ただ、一方的に練習を課すだけでは選手はついてはこない。選手たちと信頼関係を構築し、高いモチベーションを保たせ、チームを一つにすることができなければ成功はない。日大三高の小倉全由監督が代表格だろうが、「昔熱血、今対話型」と、求められる監督像に合わせ、時代に沿って柔軟に変化してきた人も多い。
そして現代の名将なら、大阪桐蔭高の西谷浩一監督だろう。常にランナーが付くノックなどの工夫もあるが、とにかくチームに高い目標を示し、一丸にするチームビルディング力がすごい。今後の方法論にも注目だ。

西谷浩一[大阪桐蔭高]
しかし、先述のとおり、時代とともに変わるのが高校野球。一度成功を見た方法論もすぐ時代遅れになる。また、公立校には強豪私学とは違う条件があり、進学校なら勝利へのアプローチはまた変わる。商業系の学校にはコツコツと練習を積み上げるのが合い、工業系では、勢いを生かしたチームづくりが合う印象も。
さらに言えば、高校野球には、甲子園常連校だけでなく、夏の地方8強が目標の学校もあれば、1勝が目標の学校もあり、つまり、この闘いには、普遍的な「正解」はないのだ。
100校あれば、答えは100通り。それでも霧の中を進んでいく情熱に、敬意を表したい。(藤本泰祐)