
【2013年●日米大学野球】僕自身、初めての日本代表は大学2年のときの日米大学野球。
“刺激”が原動力
7月は月間MVPを受賞でき、チームにも貢献できたと思います。チームは最下位ですが、まだ3位とも大きなゲーム差がなく、Aクラス入りも不可能ではない。今シーズンも残り約30試合となりましたが、最後まで全力でプレーし続け、少しでもいい成績を残したいと思います。
その先に、また“違う自分”を見つけたい。約1年後には東京でオリンピックも開催されます。出たい気持ちは当然ありますし、正直「今シーズンの結果が日本代表に選出されるかを左右する」というのは開幕前から頭の片隅にありました。今季あっての来季、そして日本代表ということは肝に銘じていますが、やっぱり野球選手として「トップレベルでプレーしたい」という思いは常にある。今も鮮明に覚えている2009年のWBC決勝での韓国戦で
イチローさん(元マリナーズほか)が放った決勝打。そんな大舞台に立ちたい思いは、今も昔も持っているんです。

“日本代表”と聞いて思い出すのは、やっぱり2009年WBCの世界一。イチローさんの決勝打のシーンが印象に残っています
それに、これまでも日本代表に「落選する悔しさ」と「選ばれる喜び」を味わってきました。中学時代はボーイズリーグ(福井・鯖江ボーイズ)でプレーしていましたが、そのボーイズの日本代表に選ばれず。高校時代(敦賀気比高)も1年夏から四番として試合に出させていただきましたが、『U18日本代表』という同世代のトップレベルには届きませんでした。だから、なおのこと代表に呼ばれる選手でありたいという気持ちがあるんです。
アマチュア時代は同世代のトップが集う場だった日本代表。当然、選ばれた選手は気になるので、日本代表の試合は見ていました。特に僕が高校3年の夏(2011年)は日大三高が強く、高山(
高山俊・現
阪神)、横尾(
横尾俊建・現
日本ハム)、畔上(
畔上翔・現ホンダ鈴鹿)といった同じ“打者”に注目していて。甲子園や国際大会の大舞台での、チャンスの場面で、なぜあれだけ打てるのか――。技術うんぬんより、打席での表情などからメンタルの面を見ていたんです。
「すごい」と思うと同時に、負けるわけにはいかないという気持ちもわいてきて。同級生よりも劣っていたら、トップレベルなんていけるわけがない。僕自身が“頂”に向かうために、彼らは身近な目標になっていたんです。
そんな彼らは高校からプロに進まず大学野球を選びました。僕も大学進学(青学大)。同じ舞台に立つわけですから「大学では――」という思いは当然、持っていました。
そして大学で初めて日本代表に選んでいただいたのが、2年生のときの日米大学野球選手権。多くの選手が口にする「日の丸を背負う重圧」は当然、感じましたし、試合前の「国歌斉唱」は本当に気が引き締まったことを一番覚えています。もちろん、アメリカのパワーやスピードにも驚きました。海外には、同世代にすごい選手がたくさんいる。そう感じることこそが、技術に対する向上心と探求心の源となっていったんです。
やりたかった決勝
大学3年時(14年)のオランダで開催された『ハーレムベースボールウィーク』の日本代表にも選出していただきました。当時のメンバーは1学年上に明大の福田(
福田周平)さん、立命館大の山足(
山足達也)さんと現在、
オリックスで一緒にプレーしている先輩方に加え、早大の中村(
中村奨吾・現
ロッテ)さん、同級生では茂木(
茂木栄五郎・現
楽天)と、現在プロで活躍している選手ばかり。それでも、決勝はアメリカに3対6で敗れました。僕自身は三番で出場し4打数2安打。6回にはタイムリーも打ちましたが勝てず。同じ日本代表の選手に刺激を受けつつも、やっぱり大事なのは試合に勝つこと。日本を代表しているからこそ、勝ちたかった思いは強かったんです。
だから最後の大学ジャパンとなったユニバーシアード(15年)では世界一になりたかった。4年生になったときは代表でも四番を打たせていただきましたが、『大学ジャパンの四番』といっても、技術の高い選手たちが集う場。僕自身は『4番目の打者』という意識しかありませんでした。周りの選手たちの高いミート力や打球を飛ばすパワー、そして優れた選球眼などを目の当たりにしていましたから。互いを認め合っていたメンバーだからこそ、みんなで試合に勝ちたかったんです。
そんな思いもまた、自分のパフォーマンスを最大限に引き出してくれる。普段は違う大学でプレーするメンバーで結成される“即席チーム”でも“勝ちたい思い”があるからこそ、みんなコミュニケーションを取っていました。チームワークの大事さをあらためて学んだのも日本代表だったんですよね。
それだけに最後まで戦いたかった。というのも、ユニバーシアードのチャイニーズ・タイペイとの決勝は雨で中止に。前日の決勝ステージでアメリカに8対0で勝ち、前年のリベンジはできましたが、最後はチャイニーズ・タイペイとの“両国優勝”で終わってしまったんです。強い雨が降っていたので仕方ないことですが、チームが一つにまとまっていただけに最後まで試合をして大会を終えたかったです。
ほかの選手から刺激を受け、そしてチームの和の大事さを学んだのが日本代表。今年3月には初めてトップチームの代表に選んでいただきましたが、今秋のプレミア12、そして来年のオリンピックにも呼ばれるように、今季の残り試合も全力を尽くしたい。オリックスでのプレーに加えて、国際舞台も自分を成長させてくれる場。まだ見ぬ“頂”へ――。自分と向き合い、成長を続けていきたいという思いがあるからこそ、日本代表は、僕の目標であり続けるんです。

【2019年●侍ジャパンシリーズ】今年3月にはトップチームにも初めて選ばれ、とても刺激になりました
PROFILE 吉田正尚/よしだ・まさたか●1993年7月15日生まれ。福井県出身。173cm83kg。右投左打。敦賀気比高、青学大を経て2016年ドラフト1位でオリックスに入団。開幕スタメンを勝ち取り、10本塁打を放った。17年は腰痛が再発し開幕直前に離脱も、7月に復帰して2年連続2ケタとなる12本塁打を記録。3年目の昨季は6月から四番に定着すると、全試合出場、打率.321、26本塁打、86打点の成績でベストナインを受賞した。今季も若き四番として、打線をけん引する。