「日本ワールド・シリーズ」として1950年にスタートした日本シリーズも、今年で70回目を迎えた。ここでは、その激闘の歴史を振り返る。 写真=BBM 
1950年第1回日本ワールド・シリーズを戦った指揮官。左が松竹の小西得郎監督で、右が毎日の湯浅禎夫総監督
プロ野球が2リーグとなった1949年11月26日から両リーグの優勝球団で日本一を争うプランはあったが、互いの選手引き抜きなどで関係がギクシャクし、とてもそんな話し合いをする雰囲気ではなかった。ただ、翌50年1月になって、状況を危惧したGHQのマーカット少将の指示で、ようやく歩み寄りがあり、8月になって日本選手権開催が決定。かなりギリギリだが、10月25日に「日本ワールド・シリーズ」という名称で11月22日から7回戦制で開催する発表がされた。
50年、1回目の対戦はセが松竹ロビンス(その後、大洋に吸収合併)、パが誕生1年目の毎日オリオンズ(現
ロッテ)だった。毎日の先発はシーズンで14試合しか投げていなかった42歳のベテラン、
若林忠志・・・
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