近年、日本シリーズ、交流戦とセ・リーグがパ・リーグに圧倒され続けている。果たして、これは一過性のものなのか、それとも必然なのか。本誌では2回に分け、検証企画を組んでみた。前編は歴史編。まずは時代をさかのぼり、セ・パの違いを探っていく。 
1985年秋のドラフト会議で西武から1位指名され入団した清原和博
スカウト戦略がさらなるパの力に
巨人の人気、実力一極化を崩壊させたのは、奇しくもV9スタートの1965年秋に誕生したドラフト会議だった。 セ、パの歴史を大きく変えた最初の分岐点は、間違いなくドラフト会議である。もともと経営が厳しかったうえに、自由競争での新人獲得の契約金高騰により、さらに球団経営が圧迫されたパ・リーグの球団、特に西鉄の西亦次郎球団社長が中心になって提案され、1965年秋からスタートしたものだが、それまで資金の豊富な球団、はっきりいえば、巨人に偏りがちだった戦力が、みるみる分散していった。
時期的には、巨人がV9時代のスタートと、ほぼ重なったため、もしかしたら巨人も、その影響を深刻に考えていなかったのかもしれないが、たとえば、68年秋のドラフトならば、
阪神に指名された
田淵幸一、
中日に指名された
星野仙一は、ドラフト制度がなければ巨人に入っていたはずだ。そうなれば、球界の歴史は間違いなく大きく変わった。
おそらく、巨人がドラフトに本気で危機感を持ったのは・・・
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