2020年のスタートに、ジャイアンツ・小林誠司とカープ・野村祐輔による同級生対談が実現した。高校時代に広島の名門・広陵高でバッテリーを組み、2007年のセンバツ8強、夏の甲子園&秋の国体では準V。広陵高卒業後は別々の道を歩み、現在は同じセ・リーグで覇権を争う球団に所属し、良きライバル関係に。思い出話に花を咲かせた大の親友同士は、新シーズンに話が及ぶと熱い火花を散らした。 聞き手=田中大貴(スポーツアンカー) 構成=坂本匠 写真=前島進(インタビュー)、BBM 取材協力=岡山県倉敷市立連島南小学校 
今季の目標
野村好みの捕手・小林
大阪で中学時代を過ごした小林誠司と、岡山で県内有数のピッチャーに成長を遂げた野村祐輔の出会いは、今から15年前、2005年の春に遡る。ともに親元を離れ、広島の地で野球に打ち込んだ2人の、原点である広陵高時代の話からスタートしよう。 ──昨シーズンのこと、そして2020年のことを聞く前に、2人の関係を知らない読者の方もいるので、是非、広陵高時代のことから教えてください。野村選手は岡山から、小林選手は大阪から広島の広陵高に進学してチームメートとなるわけですが、入学以前はお互いのことを知ってはいたのですか。
野村 まったく知らなかったよね。
小林 知らない(笑)。中学のとき、強いチームにいたわけでもないですし。
野村 初めて会ったのは入寮の日だと思うけど、確か、隣の部屋だったよね?
小林 そう、そう!
野村 お互い県外組で、同級生に1人も知り合いがいなかったので。基本的に、広島のボーイズやシニア出身の選手が多くて、彼らは中学時代に面識があってしゃべっているんですけど、僕らはその輪に入れない。最初のうちは多数派の広島組と、少数派の県外組とに分かれて、ポツンといたような。
小林 基本的に、僕もかなりの人見知りだから(笑)。
──県外組の野村、小林両選手もしゃべらなかったのですか? そして入学後のお互いの印象はどうでしたか。
野村 「よろしく」くらいは初日に話したと思いますけど……。
小林 野村はライバルだったんで。
野村 そうだ、ピッチャーだった(笑)。
小林 でも、1年生の最初のころはいっぱい、いっぱいだったよね?
野村 そう。1日をどう耐えしのぐか。
小林 練習と生活についていくのがやっと。本当に広陵でやっていけるのか? と。余裕がなかった。でも、野村はすごかったんですよ。最初から。すぐにベンチ入りしていたから。
野村 誠司は投げ方がめちゃくちゃ柔らかかった。「いい投げ方するな~」って思っていたからね。
──さすが、ピッチャー(笑)。そもそも2人はなぜ、地元の高校ではなく、広島の広陵高への進学を選んだのですか。
野村 僕は親に勧められたのがきっかけです。最初は「地元の高校で甲子園に」という気持ちが強かったんですけど。中学2年生(03年)のときのセンバツで広陵が優勝していて、僕もテレビでは見ていたんですが、親との話の中で広陵の話題になって、目指してみんか? と。それで見学をしてみて、ここでやりたい、と。最終的には自分の判断で決めました。
小林 僕も
西村健太朗(元
巨人)さんがエースの広陵がセンバツで優勝するのを見ていましたし、自分から「広陵に行きたい」と思って、見学もさせてもらいました。僕の場合は一般受験ですけど(笑)。
──入学時はお互いにピッチャーでライバル同士。しかも、野村選手いわく、「柔らかくて良い投げ方をしていた」小林選手がキャッチャーにコンバートされるきっかけを教えてもらえますか。中井哲之監督の鶴の一声だった、という話ですが。
小林 キャッチャーになった理由を中井先生に聞いていなくて、今も分からないんですが、「キャッチャーをやれ」と言われたときのことは、鮮明に覚えています。
野村 俺も(笑)。1年生の冬前だったんですが、『新人戦』という1年生大会が福山の球場であって、結構、ひどい負け方をして、バスで学校まで帰る道中のことです。最初は負けたのでピリッとした雰囲気があったんですが、福山から1時間くらいかかるので、みんな疲れてウトウトしていたんです。そうしたら中井先生がいきなり大きな声で・・・
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