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あの時代の記憶 恩師が贈る言葉

高橋祐二(霞ケ浦高野球部監督)が贈る 遠藤淳志(霞ケ浦高→広島)へのメッセージ 「すべてがいい勉強。チームのモットーを忘れず、謙虚さを持って頑張れ」

 

プロ2年目の昨季、初登板から10試合連続無失点、一時はセットアップも任されプロ初勝利、初セーブもマークした広島遠藤淳志。今季は先発に挑む期待の若鯉だ。その遠藤を高校時代に指導したのが霞ケ浦高の高橋祐二監督。今年も鈴木寛人をドラフト3位で広島に送り込むなど、投手育成の手腕には定評がある。遠藤への激励とともに、その成長の道筋を振り返ってもらった。
取材・構成=藤本泰祐 写真=BBM


 体が細かったので、もう少し時間がかかるかなと思っていましたが、中継ぎではあっても、プロの世界でしっかりと一年間投げられたので、去年は遠藤にとって、すごくいい一年になったと思います。初勝利の記念のマスコットのぬいぐるみも、私にプレゼントしてくれたんですよ。

 遠藤は、投げた日には必ず連絡をくれます。先にウチからプロに入った2人(元DeNA綾部翔オリックス根本薫)に比べても、まめにくれますね。去年も最初は「こんな世界で投げていいのかな、なんていう気持ちでやっています」と言っていたのが、無失点を続けていくうち、メールもどんどん自信にあふれたものになっていきました。

 私が遠藤を初めて見たのは、中学3年の5月でした。彼のいた新治中は、ウチへよく選手が来てくれる学校で、「体は細いけど、いいピッチャーがいるよ」と聞いて。見ると、右足一本で立ったときのバランスが抜群に良かったので、ひと目で「これは絶対良くなる」と思いました。

 遠藤は体は細かったですけど、私はバレーボールを指導していた経験の中で、どういう子が高校3年間でどのぐらい身長が伸びるかを、ある程度予測できるようになっていました。頭が小さくて、ヒザ下が長く、のどぼとけが出来上がっていなかった遠藤は、いいバランスで育つ予感がしました。本人も早くに「霞ケ浦に行きます」と言ってくれましたし、最初からプロとは考えていませんが、高校で完全燃焼して終わりの選手にはしたくないな、と思っていました。

 ウチの学校は、投手の育成に関しては、定期的に30メートルの立ち投げを行うことなどを含めたメソッドが確立されていますので、それに沿っていけば、ある程度自然に伸びてくれるはずだと思っていました。最初の1年は、慌てて公式戦で投げさせたりせず、じっくり育てていきました。遠藤は、手抜きをすることもないですし、きちっとメニューをこなし、順調に伸びていったと思います。

2年秋のアクシデント


 公式戦に投げたのは2年生の夏からですか。リリーフで1試合の後、4回戦で先発させたら、完封しました(勝田工高を4安打、11奪三振)。その夏は、あとは上級生が投げたのですが、手応えを得て、“さあ、秋からは遠藤をエースに”というところで、アクシデントが起きました。洗濯物を抱えてふざけ合った拍子に、ガラスに手を突っ込んで手の甲を切ってしまったのです。

 このときは私もしかりました。「自覚がない。お前みたいなのはピッチャーとして失格だ」と。秋の大会では同学年の川崎という投手が好調で、関東大会まで進みました。このときは遠藤も焦ったのではないでしょうか。その冬場は、とにかくよく走っていました。しかられた後、「何くそ」という気持ちで頑張ったのでしょう。

 遠藤は、どこかで急にスピードが速くなった、ということはないのですが、そのケガ以外は、体が出来上がってくるにつれて、順調に良くなっていったと思います。ボールの角度、スピン量。いつしか、先にプロに行った綾部の高校時代と比べても、「遠藤のほうが良くなっちゃったかもしれないな」という感じが出てきました。

つかませられなかった自信


 遠藤が3年生になり、私は「夏は遠藤で勝負しよう」という腹づもりになっていましたが、春は斎藤という選手を中心に使いました。遠藤は、関東大会で完投勝ち(白鷗大足利高を8対1)と結果を出しました。

 夏の大会では、遠藤は最初はリリーフでスタートし、準々決勝で先発し完投勝ち(サヨナラ勝利)、準決勝ではリードされたところから遠藤を投入し、遠藤自身のスクイズもあって逆転勝ち。遠藤を出したら、チームにピンとしたものが入る存在になっていました。

 ただ決勝(対土浦日大高)は、ウチにとっては最悪の試合になってしまいました。遠藤が先発し、6回を終わって7対2のリードから、2点、2点、3点と取られて逆転されてしまったのです。ウチは遠藤と斎藤をピッチャーとファーストで何度も入れ替えながら防戦したのですが、よけいに浮き足立った感じでした。ウチも9回裏に追いつき、延長に入ってからは、遠藤もピタッと立ち直ったのですが、今度はこちらが毎回のようにサヨナラのチャンスを逃し、最後は延長15回、外野手が目測を誤った二塁打で決勝点を取られて負けました。遠藤自身が、もうちょっとしっかり投げてくれれば、というところもあるのですが、彼にしてみれば、勝ち取れたはずのものが手中からなくなったわけで、悪夢のような試合だったでしょう。

 そんなこともあって、遠藤に対しては、「結局、自信をつかませてあげられないまま、プロに送り出すことになったのかもしれないな」と思っていたのですが、去年のメールや、シーズン中に相手の内角にガンガンと投げ込んでいく姿をテレビで見て、「この子には本当はこういう向こう気の強さがあったんだな」と。あの決勝も、もっとあの子が内に秘めている闘志を引き出すような言葉をかけていたら、結果が違っていたかもしれません。

高校時代の遠藤。3年生夏に茨城大会決勝で延長15回の激闘の末に敗れ、甲子園出場を逃すという苦い経験を持つが、それが今の活躍への糧となったことも、また間違いない


 去年は調子がいいばかりではなく、最後のほうはスタミナが切れ、ボールが上ずって打たれた。それも遠藤が上を目指すためには良かったと思います。このオフは千賀(千賀滉大=ソフトバンク)さんと自主トレをさせていただいたり。そこで自分のフォームを見失ったりもしましたが、1週間や2週間、一緒にやらせてもらって何かがつかめるという甘い世界ではないですからね。まあそれも向上心ゆえ。フォームはまた元に戻すようですし、大丈夫だと思います。

 あとは、ちょっと活躍したからといって有頂天にならないように。年末に来てくれたのですが「成人式のために作った」というスーツが派手でね。「プロ野球選手っていうのは、地味な格好してたって、オーラで目立つようにならないといけないんだよ。着るものの派手さはいらないんだよ」という話をしたんですがね。

 年齢的に、今ちょうど、そういう部分で成長していく局面なのかもしれません。ウチのチームのモットーである「人としての成長なくして野球の成長はない」ということを忘れることなくやっていってほしいと願っています。さまざまなことがいい勉強になって、いい方向に進んでいってくれればうれしいですね。

遠藤[左]とともに(写真提供/高橋祐二監督)


PROFILE
たかはし・ゆうじ●1959年8月8日生まれ。茨城県出身。霞ケ浦高時代はエースで四番、主将だったが、夏の茨城大会ではすべて初戦敗退。日体大では外野手として活躍し、卒業後、母校に赴任した。バレーボール部の監督となり、19年間指導。春の高校バレー出場を花道に2001年に野球部監督に就任した。夏の茨城大会では決勝で5連敗するなど、甲子園への道は遠かったが、2015年に壁を破り、夏初出場。19年にも現広島の鈴木寛人を擁して出場を遂げている。保健体育科教諭。副校長も務める

えんどう・あつし●1999年4月8日生まれ。茨城県出身。184cm78kg。右投右打。土浦市立新治中から霞ケ浦高に進む。3年生夏の県大会決勝では延長12回、5時間の死闘の末に9対10で敗れ甲子園出場はならず。ドラフト5位で18年に広島に入団。2年目の昨季は6月にプロ初登板を果たすと、10試合連続無失点をマーク、一時はセットアップ役を任されるなど、34試合に登板し、1勝1敗1S、38奪三振、防御率3.16の好成績を挙げた。今季は先発に挑戦する
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