苦境を力に変えることができる男だ。新人年に故障離脱するなどプロの舞台で苦しみながらも、3年目の今季は開幕先発ローテ入りが濃厚と、そのポテンシャルを示しつつある。振り返れば、これまでも自分と向き合いながら前に進んできた。心技体で成長したJR東日本での3年間──。プロ入りを果たすまでの成長を、恩師・堀井哲也氏が回顧する。 取材・構成=鶴田成秀 写真=BBM しっかりと“技術”を習得し、エースとなって“自覚”が芽生えた。その2つをマウンドで発揮するために、今度は“体力”の向上へ。高校を卒業したばかりの18歳のピッチャーが、JR東日本での3年間で『心技体』すべての面で成長していったのを間近で見てきました。あの3年間で、本当にたくましいピッチャーになったものです。
分岐点は16年の都市対抗
彼を初めて見たのは佐野日大高時代、3年春のセンバツでした(2014年)。真っすぐも速いし、スライダーもキレがある。テレビ画面越しに「高校生なのに、すごいボールを投げるな」と見ていました。その一方で、実は気になる点もあったんですよね。それは“テークバック”が大きかったこと。センター方向に左腕が入り過ぎていました。悪い言い方をすれば「ボールをブン投げている」状態だったので、制球が安定せず、故障の恐れもある、と思って見ていたんです。
そのフォームに耐えられるだけの「肩甲骨の柔らかさ」は彼の武器でもありましたが、当然、社会人野球は、高校野球以上のレベルになるわけです。打者のレベルも上がるので、制球力も、より高いものが求められる。だから、彼が入社してきたときに、まずはテークバックを小さくする必要があると思ったんです。
もちろん、彼自身ともその話をしました。入社1年目(15年)の夏に「テークバックを小さくしよう」と話し合い、フォームの改善に取り組み始めたんです。
フォームの修正は、容易なことではありません。高卒ということもあり「時間を要してでも」と、私自身も“長い目で見る”という覚悟もありました。ですが、結果から言えば・・・
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