昨年まで4年連続で都市対抗出場を逃し、まさしく「待ったなし」の状況である。任期途中だった慶大監督を昨秋限りで退任。名門復活を託された切り札の6年ぶり復帰だ。前回就任時もチームの窮地を救ったその確かな手腕。選手として2度、監督として3度の都市対抗制覇を経験した指揮官が再建へのビジョンを語る。 取材・構成=岡本朋祐、写真=大賀章好 グラウンドの右翼ネットに掲げられているスローガンを前に、2020年シーズンへの決意を新たにしている
10年前の“声”が、今でも大久保昭監督の耳に残っている。外苑前駅の改札を上がり、神宮球場が近づくと、ちょうどシートノックの時間だった。前回在任時の3年目の2008年、
田澤純一(元レッドソックスほか)を擁し、13年ぶりの都市対抗制覇。名門復活へ導いた名将だが毎年、勝利が宿命とされたチーム。新入社員の採用にも余念がない。その日は、東都大学リーグ戦の視察だった。
「遊撃手・渡邉貴美男(2010年当時・国学院大主将)の明確な指示が、道路からでも聞こえてきたんです。その姿勢は、自校のグラウンドでも何ら変わらない。『一緒にやりたい!』と思う人材だったからこそ、何度も足を運んで、全力で口説き落としました。勝てる確率が高い選手とやりたい。実際、その方針は間違っていなかったです」
昨季主将の渡邉はガッツあふれるプレーが持ち味。リーダーシップがあり、社会人日本代表も4度選出されたプレーヤーだった。国学院大時代には先輩の
嶋基宏(現
ヤクルト)と並ぶ人格者、伝説に残る名主将として語り継がれている。
JX-ENEOS野球部は監督、コーチ、マネジャー、選手で計35人の「枠」で活動している。現在はコーチ兼任の渡邉を含め、選手28人。企業が優秀な人材を獲得したいのは当然の流れで、大久保監督は「採用がすべて」と断言する。指揮官が足を運び、力量だけでなく、性格まで見定め、入社を決める。大会、試合、練習の合間に地道な視察を繰り返し、入社後も熱血指導で常勝チームを作り上げた自負がある。前回の在任時は都市対抗3度、日本選手権1度の優勝。大久保監督は指導方針を熟知した優秀な“部下”に恵まれた。現在、チーム最年長(31歳)の渡邉も栄光を知る一人。第1期政権時、大久保監督とともに戦ったメンバーは投手では江口昌太(鹿児島工高)、捕手では柏木秀文(城西国際大)、内野手では山崎錬(慶大)、外野手では松本大希(慶大)と計5人だ。
「彼らのような入社7〜10年目は最も成熟した時期なんです。社会人野球の理念を理解し、フォア・ザ・チームの精神が宿り、会社の看板を背に戦える。実は(10年目の)渡邉は、昨年限りで上げよう(引退)と思ったんですが、将来の指導者を任せられる人物でもあり、コーチ兼任で残したんです。大正解でした。彼がゲームに入ると引き締まりますし、ポイント、ポイントで良い働きをする。とはいえ、そうした動きが、チーム全体に浸透しているのかと言えば、別問題。ちょっとずつ、意識改革をしながらです」
新型コロナウイルスの感染拡大により、監督復帰後、初の公式戦となるはずだったJABA東京スポニチ大会(3月12日から4日間)は中止となった。その後も可能な限りで調整を続けているが、3月にこんな出来事があった。
「大学生相手のオープン戦で大敗しました。本来なら見本となるプレーを見せるはずが、無様な試合をしたにもかかわらず、帰りのバスで・・・
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