
1年目8勝9敗で新人王の齊藤。春季キャンプの写真だが、やはり……
にらみ合いになった
少し前、僕が33歳の年(1975年)に、大洋に移ってびっくりしたという話をしましたよね。
とにかくピッチャーのコントロールが適当で、コンビネーションなんか誰も考えてなかった。技術も意識も両方が足らんチームでした。
チーム防御率もリーグ最下位で、負けまくったシーズンでしたが、最下位には辛うじてならんかった(5位)。長嶋(
長嶋茂雄)さんが監督になったばかりの
巨人が最下位にドンといましたからね。僕らは、それまで強い巨人しか知らんかったから、これもびっくりしました。
そう言えば、シートノックをしていたら、長嶋さんが後ろに来て、「ダンプ、ウチは全然ダメだ。どうなってるんだ!」って、突然話しかけられたことがあります。「はあ」とだけ答えましたが、いったい何で僕にあんなことを話したのかと、しばらく悩みました。
当時、大洋の正捕手は伊藤(
伊藤勲)で、二番手が福嶋(
福嶋久晃)。最初の2年くらいは、あんまり試合での出番もなかったです。故障もありましたし、ご存じのとおり、何しろ打てないもので(苦笑)。
それで3年目(77年)かな。
齊藤明雄(1年目は斉藤明雄)が、ドラフト1位で入ってきた。大商大から入った選手で、体はでかいんですが、新人のくせに、ちんたらちんたら緊張感なく投げるヤツでね。フォームも顔が別の方向を向いて投げていた。顔も怖いし(笑)、アマチュアなら、あのフォームでも威圧感があっていいかもしれんが、プロでは難しいかもしれんなと思って見てました。
あいつの新人時代、こんなことがありました。巨人戦だったけど、あいつがワンバンを投げて僕が弾いた。その1球だけならいいけど、ずっとちんたらと投げていて、構えたミットに近づいてこない。こっちは球を捕るだけの壁じゃない。いろいろ考えてリードしていますし、それも、投手が勝てるように、いいとこを引き出そうと思ってやっているのに、逆球を投げても平気な顔をしていた。
コロコロ転がってるボールを見ていたら、だんだん腹が立ってきましてね。それでボールを拾った後、明雄に向かって全力で投げ返した。ベテランにはなっていましたが、まだまだ肩には自信があった。ヘロヘロ球ではなかったと思います。
では、恒例のクイズです。明雄はその後、どんな行動を取ったでしょう。制限時間は3分にしましょうか。えっ、分かるはずない? いつもいつも、あきらめが早いな。少しは考えてくださいよ、まったく……。
あいつは一歩踏み出してパシンと捕って、こっちをにらみつけました。こっちもカッカしてるから、一瞬ですが、にらみ合いになった。
そしたら大洋と巨人の両方のベンチから拍手が起きて、誰の声か知らんけど、巨人ベンチから「いいぞ、ダンプ!」って。張本(
張本勲)さんかな。そのとき・・・
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