森祗晶監督の下、リーグ3連覇を成し遂げた西武。日本シリーズでは巨人と対戦、日本一を決めた第6戦では中前打で一走がホームインする好走塁も生まれた。その“伝説の走塁”の当事者だった辻発彦氏(現西武監督)に日本シリーズでのプレー、そして1987年シーズンについて聞いた。 取材・構成=小林光男 
87年日本シリーズ第6戦の8回、一走の辻は秋山の中前打で二塁を回り、スピードを落とすことなく三塁を蹴って、ホームインした
強い意気込みで臨んだがシーズン前に骨折
佐賀東高から日本通運を経て、1984年ドラフト2位で西武に入団した辻発彦。広岡達朗監督に攻守ともに鍛えられ、森祇晶監督に代わった86年、二塁手のレギュラーとなった。130試合に出場し、打率・296、7本塁打、57打点、35盗塁をマーク。チームも連覇も果たし、辻はベストナイン、ゴールデン・グラブ賞を獲得した。翌87年、自らの地位を確かなものにすべく、野球に没頭したが、シーズン前にアクシデントが襲う。 ──プロ4年目の意気込みはやはり強かったですか。
辻 1年目は41試合、2年目は110試合の出場で3年目には初めて130試合にフル出場しましたから。もちろん、レギュラーの座を確立する大事なシーズンになると強い意気込みは持っていました。
──森監督2年目で
大田卓司が引退、
片平晋作、
永射保、
田尾安志らベテランがトレードされるなどチームも変革期を迎えていました。
辻 秋山(
秋山幸二)が三塁から中堅、石毛(
石毛宏典)さんが遊撃から三塁にコンバートされ、遊撃には高卒3年目の田辺(
田辺徳雄)が入りましたからね。伸び盛りの若手も多く、長く強いチームになっていく感じもあり、自分も負けないように居場所を確保しようと思っていました。
──その矢先、3月31日、
阪神とのオープン戦(西武球場)で
中田良弘から右手に死球を受け人差し指を骨折。長期離脱になってしまいました。
辻 今思えば意気込みが強過ぎたんですかね。オープン戦だから、そこまで必死に打ちにいくこともなかったと思います。絶対に内角にシュートが来るだろうという場面で狙い打ちしたのですが……。
──当時の記事によると審判がファウルと
コールしたので手袋を取って「どうだ、見てみろ。デッドボールだ」と言ったそうですね。
辻 痛みは全然感じなかったのですが、当たったのは分かったので。それで、右手を見てみたら人さし指がプラッとしていて。普通についている状態ではなかった。ボールを投げる際に使う大事な指ですし、ゾッとしましたよ。「野球ができなくなるのでは」と怖くなりましたね。
──診断は「右手人さし指基節骨開放骨折」で全治6週間でした。
辻 そこまでの大ケガをしたことはなかったですからね。代わりに笘篠(
笘篠誠治)が二塁に入りましたけど、たまに西武球場へ行って試合を見ると、その試合に限ってよく打っていたんです。正直な話・・・
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