愛弟子たちが恩師・長嶋茂雄氏を語るシリーズも、これが後編。話が尽きないとは、まさにこのこと。近々、機会をあらためて続編をお届けしよう。今回は3人の「懐かしの表紙話」から入っていく。 構成=井口英規 
2期目就任初年度の長嶋監督/1993年
表紙最多は一番短命の……
──今回は、長嶋さんの第3弾(後編)をお願いしたいのですが、その前に、皆さんが現役時代に「週べ」の表紙を飾っていただいた号のカラーコピーを持ってきましたので、ご覧ください(下の写真はその一部)。

1975年1月27日号[※7]

1980年7月7日号[※2]

1981年11月23日号[※4]

1982年6月7日号[※3]

1983年1月13日号[※5]

1986年2月3日号[※6]

1991年12月30日号[※1]
川口 すごいな、サダさんの表紙、こんなにあるんだ。どうしてですか。野球人生は短いのに(笑)。
定岡 うるさいよ!(笑)。シノもたくさんあるな。あれ、グッチ(川口)は……。
──すいません。1枚だけでした(※1)。昭和の「週べ」は、かなり
巨人寄りだったので(苦笑)。
川口 俺がオチか(笑)。まあ、当時の(
広島)市民球場のお客さんを考えたら仕方ないよね。でも、サダさん、いいフォームですね。ヒザの裏側にグラブがあるのがいいな(※2、3)。少年野球でも、体が早めに開いてしまう子に、そうアドバイスすることがあります。
定岡 年々、フォームを少しずつ変えていたんだけど、それも比べて見ると分かるね。懐かしいな。あれ、グッチ、俺ってカメラ目線より自然な感じの写真のほうがよくない?
川口 (無視して)シノさん、この守備はカッコいいですね(※4)。
篠塚 いいでしょ。最近、危険スライディングが禁止されたこともあるけど、飛んで投げる人いないからね。走者が滑り込んで、それを避ける練習は結構やったもんな。
川口 日米野球のロイヤルズですね。あれ、こっちのシノさん、パンチパーマですよ!(※5)
定岡 みんなそうだったんだ。俺もやってたときあったしね。でも、俺の顔、このころと、あまり違ってないな……。あっ、グッチ、笑ってるな! 確かに昔は白髪なんてなかったけどね(笑)。
篠塚 サダさん、この表紙に「アメリカ行きの真相はこうだ!!」とありますよ。これは引退した後のドジャース行きの前ですね(※6)。
定岡 そうそう。でも、うれしいな。ベーマガさん、きょうのギャラはいりません(笑)。
川口 じゃあ、俺に振り込んでくださいよ(笑)。
定岡 バカヤロー!(笑)。このミスターとの2ショットも懐かしいな(※7)。入団発表に行ったときだ。革靴を履いて、あとで怒られたんだ。
川口 なんでですか。
定岡 うちの学校、校則で運動靴しかダメだったから(苦笑)。でも、東京に行ってさ、マスコミもたくさんいるジャイアンツの入団会見だよ。しかも、みんな革靴を履いているんだもん。
川口 一人だけ運動靴でもねえ(笑)。
定岡 ベーマガさん、この表紙、全部もらっていいですか。
──もちろんです。そのつもりで持ってきました。
定岡 うれしいな。額を買って家に飾ろう。うちの30畳の巨大リビングに(笑)。
川口 そんなに広いなら・・・
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