NPB審判部でクルーチーフを務めた佐々木昌信さんは昨季限りでプロ野球の現場から退き、実家の覺應寺(かくおうじ・群馬県館林市)を継いでいる。アンパイアから住職という、異例の転身までを追った。(一部文中敬称略) 
昭和6(1931)年11月に新築された覺應寺の本堂前にて。第18世住職として、佐々木家を継いでいる
すっかり夜型から朝型になった。覺應寺(群馬県館林市)の第18世住職・佐々木昌信は6時に起床し、本山である東本願寺(京都府京都市)に合わせて、7時から勤行を唱える。
「本格的にお経を読み上げるのは、大学以来。心が落ち着くものですね。4冊ある経本は勤行のほか、お通夜、葬儀、四十九日など、場面によって使い分けるんですが、見ないで言えるようにならないといけません。繰り返し、一つひとつを学び、覚えていくのは、セ・リーグに入局した29年前と一緒。右も左も分からず、アタフタしています。お寺を軌道に乗せて、門徒さん(覺應寺の宗派である真宗大谷派を信仰する人びと)に、心配をかけないようにしていきたい」
勤行後は寺周辺の落ち葉を拾い、本堂を隅々まで掃除する。平日の午前中は不慣れなパソコンを駆使して、寺の公式ホームページを更新し、発信する。一方で、法名のほか、正式な文書は毛筆であるため、習字とも格闘中だ。午後は近所や関係各所へのあいさつ回り。週末には法事等が控え、多忙な日々を送る。門徒さんがお参りに訪れた際には、墓地へ案内するのが住職の役目ではあるが……。
「本堂の裏にはお墓が400ほどあるんですが、配置がよく分からないんです(苦笑)。見取り図があればいいんでしょうけど……。母によれば、前住職(父・祐昌さん)は、すべてが頭に入っていたので、そんなものは必要なかった、と……。門徒さんのお顔も覚えないといけないんですが、コロナ禍でマスクをしていて……。感染予防対策をした上で、ほんの少しだけ外していただいています」
NPB審判員だったシーズンオフには寺の手伝いをしてきたが、事実上、前住職からの引き継ぎはできなかった。しかし、新住職の佐々木は背伸びすることなく、自然体でいる。
本堂横の一室には・・・
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