
さまざまなパフォーマンスで沸かせた新庄。全部自費だったとか
稀哲のイップス克服
前回から
日本ハムのコーチ時代の話をしています(2006年から08年。外野守備走塁コーチ、08年だけ打撃コーチ)。「選手が野球を知らなかった」とか、ちょっとキツい言い方もしちゃったけど、思ったことは口にしてしまう損な性格だから仕方がない(笑)。
ただ、日本ハムの選手は、みんなすごく純粋だった。素直で聞く耳があったことは助かりましたね。外野手で言えば、ベテランの稲葉(
稲葉篤紀)がそうだったし、あと、新庄(
新庄剛志。日本ハム時代の登録名はSHINJO)も、本当はどう思っていたか分からないけど、ひとまず聞いてくれましたからね。やりにくさはまったくなかったです。
僕は、秋季キャンプからの合流だったんですが、春のキャンプで稲葉、稀哲(
森本稀哲)、新庄に「お前たち3人でゴールデン・グラブを獲ろう」とさらりと言ったことがあります。新庄は、もう2年連続ゴールデン・グラブだったから、あまり反応しなかったけど、稲葉は驚いた顔をしてたな。あいつは前にいた
ヤクルト時代の途中に、一塁から外野に変わった。守備がうまいという人もいたけど、僕が見た限り……大したことなかった(笑)。あくまで当時はですけどね。自信ですか? う~ん、あったともなかったとも言えないけど・・・
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