
早めにヘッドを落とすスイングをしていた張本
カーブにびっくり
前回、南海兼任監督時代の
野村克也さんの話をしましたが、本当にすごい人でしたね。生き字引というのか、僕がどんなにおかしな質問をしても必ず答えてくれる。何でも知っている人でした。
南海では、大投手の
杉浦忠さんとオープン戦で対戦したのもよく覚えています。もう全盛期ではありませんでしたが、とにかくカーブがよく曲がる。先輩から「ストライクと思ったときは打ったらダメだぞ。体に当たるように来たら打てよ」と言われ、「ほんとかな」と思っていたら、ほんとのほんとでした(笑)。ぶつかるかと思って避けたらストライクだし、真ん中だと思って手を出したら、そこからぐぐぐと曲がって、外のボール球で届かず三振です。キャッチャーは当然、野村さんでしたが、僕をチラリと見て、「へへへ」と嫌な笑いを浮かべていました(笑)。
あとは阪急の福本(
福本豊)の前の盗塁王で広瀬(
広瀬叔功)さん。足がとにかく速い人でした。無用なときは走らないという考え方だったそうで、成功率がすごく高い。この人は僕が苦手なタイプの走り屋でした。足音がしないんですよ。僕は捕球のとき、走者のスタートの音が聞こえると無意識でスイッチが入った。
巨人の柴田(
柴田勲)はバタバタと音がするから分かったんですが、広瀬さんは、まったく音がしない。だから最初から投げるつもりでいないと、まず刺せませんでした。観察したらストライドが広く、すうっ〜と静かにスタートする。青い稲妻と呼ばれた巨人の松本(
松本匡史)もそんな感じでしたね。
そうそう、南海と言えば、忘れられないのが、国貞(
国貞泰汎)です。ゴリと呼ばれた元気な男で、のち
広島にも来ました。僕が初めて見たのは、昭和39年(1964年)の日本シリーズで、僕は試合には出てないんですが、ずっとブルペンに入っていたんですよ。長身で手足が長く、グニャグニャ投げるバッキーが投げていた試合だったんですが、国貞が三振した後、ベンチに戻って、「親分、あれは打てんよ。手がす〜ぐそこまで来てる」って、大きい声とゼスチャーで言ったのが
阪神ベンチまで聞こえ、みんなで大笑いしました。
西鉄ライオンズでは、兼任監督の中西(
中西太)さんが、よう声を掛けてくれました。手首のケガもあって、この方も僕が見たときは全盛期じゃなかったけど、たまに、こちらのベンチに雑談に来て、見せびらかすようにビュンビュンとバットを振ると、怖いくらいのスイングの音がした。お尻回りが大きく、見るからにパワーがある人でしたね。当時、平和台球場の右中間にスコアボードがあったんですが、そこに当てた特大のホームランにはびっくりしました。
昭和40年代の初めごろだったと思うけど、「ダンプ、球団に言っておいたから、いい話だと思ったら西鉄に来てくれよ。待ってるからな」と言われたことがあります。その後、契約更改で球団に聞いたら「え、そんな話、全然ないよ」って言われましたけどね。次の年のオープン戦で会ったとき、中西さんに言ったら難しい顔して「ふん」と。実は当時、そういうことが多かったんですよ。あちこちからよく「お前をくれと言ったんだけど、断られた」と言われた。タイガースも使わんわりには出してくれませんでしたな(笑)。
投手のどこを見るか
西鉄のキャッチャーは和田(
和田博実)さんでした。あいさつをしたら「ミット見せてみい」と言われ、「おお、いいミットを使ってるな、これなら捕れるだろ」と言ってくれたことがあります。僕はほめられて伸びるタイプなんで(笑)、その後、捕球音が一段とよくなった記憶があります。
西鉄のキャッチャーには
中日から移籍された河合(
河合保彦)さんもいた。プロ入り前、この人が中日にいたとき、よく客席から見ていたのですが、面白いのがファーストへのスローイングです。捕球後、投手に返球するようにステップするんですが、右肩を大きめに引いて、そこからピッとファーストに投げてランナーを刺すんですよ。投手に返すのとまったく同じリズムでやっていました。僕もマネをして何度かやりましたが、長嶋(
長嶋茂雄)さん(巨人)にやったときは、面白い顔をしてにらんでいらっしゃいました(笑)。
大エースの稲尾(
稲尾和久)さんには、お互いが解説者となってからいろいろお話をお聞きしました。スライダーを投げるとき、ちょっと肩を入れるコツがあるんですが、これはすごいなと思って聞いていました。左バッターの外のボールからストライクにするバックドアのスライダーをすごく使ったそうですね。日本シリーズでの長嶋さんとの対戦の話をされ、「あの人は、何を考えているか読めなかったので、勝負しづらかった」と話していました。
東映では、張本(
張本勲)さんが僕の2歳上で、打撃練習では大杉(
大杉勝男)と面白いようにスタンドにぶち込んでいましたね。2人だけじゃなく、東映の打撃練習を見ていると、みんなボンボンとスタンドに打ち込む。それこそ前の腕一本でね。小柄だけど、腕っぷしが強く、足腰が太い選手がたくさんいました。
張本さんは凡打のときは、ゆっくりゆっくり走るんですが、ヒットになりそうなときは、別人のように足が速くなって、内野安打も多かった。これは張本さんの巨人時代ですが、「ダンプ、三塁前にセーフティーバントするから、サードを前に来させるな」と言われたことがあります。「その代わり、塁に出たらゆっくり走って盗塁するから二塁で刺してくれ」って(笑)。本気かどうかは分かりませんでしたが、当時は打席でそんなふうに話し掛ける人がたくさんいました。
張本さんが解説者時代に大洋のキャンプに来て、田代(
田代富雄)の特打を見ていたときもよく覚えています。僕はまだ選手だったけど、暇だったんで打撃投手をしていて、2人の会話がよく聞こえたんです。張本さんが「お前は打席でピッチャーのどこを見ているんだ」と言ったら、田代がもぐもぐと何だか要領を得ないことを言っていた。そしたら張本さんが「リリースの瞬間だ。なかなか見えんかもしれないが、それが見えたら球種も分かるから打てるようになるぞ」と。
前に話しましたが、僕も一度だけ、たまたま外木場(
外木場義郎。広島)のカーブの握りが見えて打てたことがありますが、長いことやってその1回だけです。一流のバッターは、それがいつも見えるんでしょうね。
ただ、そこが見えてから振りに出たら、すごく始動が遅くなるんですが、いいバッターはそこからが速いんですよ。張本さんがそうでした。早めにヘッドを落として軌道に合わせてからが速かった。王(
王貞治)さん(巨人)もそうですよね。決してダウンスイングじゃなく、打つときはグリップが下がって、そこからレベルになり、バットが体の前を通過するスピードが速い。2人には、こっちが「捕った」と思ったあたりでパチンと打ち返された記憶が何度もあります。
PROFILE 辻恭彦/つじ・やすひこ●1942年6月18日生まれ。愛知県出身。享栄商高から西濃運輸を経て62年夏阪神入団。75年大洋に移籍し、84年引退。その後、大洋、阪神、横浜のコーチを歴任した。通算974試合、418安打、44本塁打、163打点、打率.209。ダンプの愛称は同姓の捕手・
辻佳紀がいたためでもある。