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平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」

平野謙コラム 第40回「あまり乗れなかった日本ハムラストイヤー」

 

チームは3位となり3連覇を逃したシーズンだが、選手は明るかった


まさかの打撃コーチ


 もう1年くらい前になるんですかね。連載の最初のほうで、独立リーグ時代(監督、コーチをしていた群馬ダイヤモンドペガサス)の関係から、群馬県で東京オリンピックの聖火リレーに選んでもらっていた、という話をしましたよね。これからの感染状況次第で、どうなるのかはありますけど、僕は、できるなら走りたいと思っています。

 今、いろいろな人が辞退していますよね。それぞれ事情もあると思いますが、僕の場合は大勢の人に推薦してもらい、尽力してもらって決まったことです。しかも、決まったとき、たくさんの人に喜んでもらった。そう簡単に辞退はできんだろうと思っています。

 神経質になる人の気持ちも分かります。大変な思いをしている方もたくさんいます。でも、走るほうも見ているほうも、しっかり気をつけてやっていたら、感染リスクが高まるとか、そういうことにはならないと思うんですけどね。

 話を戻します。前回は日本ハムのコーチ時代、2006、07年と連覇したときの話でしたよね。優勝、ましてや連覇は簡単にできることではありません。普通であればスタッフは変えないですよね。変えるにしても、チームのいいところを維持したうえで少しだけ、となるはずですが、このときはヒルマンがメジャーの監督になるために退任し、GMの高田繁さんもヤクルトの監督になった。要はフロントと現場のトップがダブルで変わっちゃったわけです。

 新監督は2004年まで近鉄の監督をしていた梨田昌孝さんです。実績ある方ですし、OBでもない。また違った風を吹き込ませるというのは、チームにとっていいことだと思いました。ただ、やはり監督が代われば、コーチも監督自身が信頼する人を置きたくなりますよね。

 だから、あのとき何となくだけど、僕もクビを切られるのかなと思っていました。前も話しましたが、外様コーチ、佐藤(佐藤義則)さん、淡口(淡口憲治)さんと僕が、隠れた連覇の功労者と勝手に思っていましたが、要は前GMの高田さんに“腕を買われた”3人ですからね。西部劇で言えば、用心棒のようなものです。

 ただ、佐藤さん、淡口さんは辞められたけど、なぜか僕だけは残ったんですよ。「一番、文句を言わなそうなヤツだけ残した」みたいな陰口を言っている人もいたと聞きましたが、それはどうなんでしょうね。実は、文句を結構言うほうなんだけどね(笑)。

 まあ、そこは実績を評価してくれたんだろうと前向きに考えたんですが、なぜか外野守備走塁コーチじゃなく、打撃コーチだったんですよ。これはちょっとな、と思いました。

データが多過ぎる!


 バッティングを教えることに自信がなかったわけじゃありません。住友金属鹿島のコーチ時代とか、あとはロッテでもちょこちょこやってましたしね。スイッチだから右も左も経験がある。苦労して工夫しながらやっていた分、悩んでいる選手にどういうアドバイスをすればいいかも分かるつもりでした。「守備の選手だったのに、打撃コーチなんてできるのか」とも言われましたが、これは「バカにするな」です。こっちは通算1500安打以上で(1551安打)、3割打った経験も1年だけだけど、ある。よそのコーチと見比べても負けてないと思いますよ。

 ただね、この2年間で5人の外野手にゴールデン・グラブを獲らせたわけじゃないですか(06年、新庄剛志稲葉篤紀森本稀哲、07年、稲葉と森本)。そんなコーチを変えますか? この連載を読んでいただいている方にはお分かりと思いますが、僕は、なんか引っ掛かるとダメなんですよ。ドラゴンズの最後のころ、監督の星野仙一さんの話を素直に聞けなくなったように……。

 それで、「だったら、二軍のコーチにしてくれませんか」と思い切って言ったけど、ダメと。もともとファームでやりたいな、というのはあったんですよ。一軍の選手は、そこそこ出来上がっているじゃないですか。彼らのスキルをさらに高めながら一緒に優勝を目指すというのも、もちろん、やりがいはありますよ。06、07年がそうでしたからね。

 ただ、欠点が多く、考えも甘いけど、その分、伸びしろを持った若い選手と一緒になって汗を流し、鍛え上げるほうが楽しかった。あとね、ロッテの二軍監督時代がそうだったんですが、一軍に上げてからも、その選手がどうなるかなとハラハラしながら見ているのが好きなんですよ。おせっかいなのかな(笑)。

 実際に打撃コーチをやっていて、バッティングの指導で困ったことはありません。戸惑ったのはデータですね。守備走塁コーチ時代もデータはありましたよ。ただ、僕はデータは所詮データだと思っていた。スコアラーが出してくれたものは当然頭には入れますし、自分の中で蓄積したものもありますが、野球は生き物ですからね。データに引っ張られ過ぎず、臨機応変にと思っていました。

 でも、初めてということもあるけど、打撃コーチはそうもいかなかった。かなり細かいんですよね。ベンチでも、みんないろいろノートに書き込むでしょ。試合前のミーティングも膨大なデータを見ながら、この投手はこういう傾向があるから、この球をこの方向に狙え、とか、細かくやっていく。

 ただ、投手はその日、その日でコンディションが違います。バッターだって個性もあるし、パワーも狙い方も一人ひとり全部違うわけじゃないですか。もちろん、データは大事だし、チームとしての投手攻略の方向性も必要だけど、そこまで決めつけてもなあ、と思っていました。西武も細かかったけど、あそこは、そのデータを自分に必要なもの、必要じゃないものと取捨選択できる能力がないと、レギュラーにはなれないチームでしたからね。

 一番いいのは、自分自身がそうだったけど、個人的に「このピッチャーの何を狙ったらいいですか」とか聞いてきたときに、ポンとシンプルに教えることだと思います。相手も考えたうえでだと思うし、迷って聞いてきた時点で受け入れる姿勢ができているから、一方通行になりにくいですしね。

 あとは、ずっとベンチにいるのも嫌だったな。ベースコーチに立ったほうが気持ちも引き締まるし、自分に合っていたなと思います。

 1つ助かったのは、一緒に打撃コーチをやった中島輝士がいいやつだったことです。打撃コーチが複数のとき、選手サイドで一番嫌なのが、それぞれが違うことを言うことですが、そうはならなかった。何でも聞いてきてくれましたし、話し合いはしっかりすることができました。

 何だか今回は文句の多い話になっちゃいましたね(笑)。結局、打撃コーチは1年で終わって退団になりましたが、すごくその後につながる、いい経験になったのは確かです。いや、ほんとに。

PROFILE
平野謙/ひらの・けん●1955年6月20日生まれ。愛知県出身。右投両打。犬山高から名商大を経て78年ドラフト外で中日入団。88年西武、94年ロッテに移籍し、96年限りで引退。俊足堅守の外野手で86年に盗塁王、リーグ最多犠打は7回を誇る。通算1683試合、1551安打、53本塁打、479打点、230盗塁、打率.273。
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