
江夏、王とも思い出に残る対決として挙げる一戦だった
竹元さん? 谷村さん?
よく「カモにする」とか言いますよね。蛇ににらまれたカエルじゃないけど、その選手には、どうやっても歯が立たないみたいな関係です。僕が現役のときも、
巨人の長嶋(
長嶋茂雄)さん、王(
王貞治)さんには、投げる前からビビッてしまう若いピッチャーがたくさんいた。
僕が
阪神のコーチ時代、カモられていたのを不思議なやり方で克服した選手がいました。当時の阪神のピッチャーは、
中日の落合(
落合博満)にカモられていたんですが、いろいろ記録を見直していたら、
池田親興があまり打たれてないことに気づいた。
なぜなんだろ、といろいろ観察したんですが、そんなにすごい真っすぐや変化球があるわけでもない。理由が分からず、本人に聞いても「さあ」だけでニヤニヤしている。それでも「何とか教えてよ」と拝まんばかりに頼んだら「投げるとき、キャッチャーのミットじゃなく、落合さんの目を見て投げる」と言うんです。どうやら落合は“これはぶつけられる”と思っていたらしい(笑)。それともシャイなんで見つめられて照れちゃったのかな(笑)。これは落合対策の秘密兵器になるかな、と思いましたが、しばらくしたら普通に打たれ出しました。でも、落合がすごいというだけで、意外と使えそうな気もしたんで、みんなに言ったんですが、採用されませんでした。
おっと、
前回の続きを始めないといかん。何人かは知らんけど、待ってる読者もいるかもしれませんしね。
少し前号の終わりのほうを紹介しときましょう。昭和46年(1971年)9月15日、甲子園の巨人戦の話でした。2対0で勝っていたけど、9回、江夏(
江夏豊)が珍しく四球を2つも出して、二死二、三塁となって、打席には王(王貞治)さん。あの年、王さんはすごく調子が悪くて、この試合もヒットはなかった。簡単に追い込んだあと、カーブのサインを出したんですが、江夏がクビを振って投げたくない、と。マウンドに行って、「何でカーブを投げないんだ。三振でゲームセットやないか」と言ったんですが、「打てん球で勝ってもしゃあないやないか」と……。
コーチもいましたけど、頑固な男なんで、こうなったらもう仕方ありません。外も投げたくないと言うんで、インコースに投げさせ、王さんが見送り。最高のコースに決まったと思ったんですが、ボールの判定でした。「えっ」と思って振り向いたら、球審が右手の親指と人さし指で1cmくらい幅をつくり「ボールだ」と。記録だと球審は竹元(竹本勝雄)さんなんですが、どうしても谷村(谷村友一)さんのような気がしてならない。谷村さんとは、そういうやり取りをよくやっていたんでね。
それで竹元さんだか、谷村さんだか分からん球審が、意地になったのか、そのあとストライクゾーンがさらに狭くなってフルカウントになっちゃったんですよ。でも、江夏は簡単に四球を出す男じゃない。ここでカーブ、それが嫌ならアウトコースでも王さんは絶対打てないと思って、一応サインを出してみましたけど、江夏はやっぱり頑固でした。また、インコースを投げた。少し甘くなったのは確かです。それを王さんが体を開いてグチャンという当たり。決していい当たりじゃなかったですよ。ライトの藤井(
藤井栄治)さんが追ってジャンプしたけど、届かず、甲子園のラッキーゾーンにポンと入りました。決勝の3ランです。
僕は審判の味方です
このとき、王さんの様子がいつもとちょっと違っていた。三塁を回って、ホームベースに来るときも、じっと見ていたらヘルメットをいつもより深くかぶって、ふらふらとしながらベースを踏んでいた。
この番組(NHKの『ヒーローたちの名勝負』)の中で、王さんは、「頬のあたりにちょっと硬直するようなものがあった。普段の自分とは違う感情があったような気がする」と言っていました。でも、どうだったのかな。泣いていたのか、いないのか。実は、ずっと気になっていたんです。
あれはいつだったかな。王さんが私服で試合前のベンチに来られたことがあります。巨人の監督を辞めて、ダイエーの監督になる前だとしたら、僕はもうコーチだったのかもしれませんが、はっきり覚えていません。
それで、ちょっとあいさつしなきゃと行って、「こんにちは、王さん」と言ったら、ちょうど周りに誰もいなかったんで、「一つお聞きしていいですか」「何?」となったんです。
「昭和46年、甲子園で江夏から逆転の決勝ホームランを打ったとき、僕、涙を見たような気がするんですよ」と聞いたら、
「涙? 出てないよ。あのときは、ふらふらして真っすぐ歩けなかっただけ」と言ってました。
本人がそう言うんだから仕方ない。僕は「分かりました。ありがとうございます」と言って立ち去ろうとしたら、王さんが「あのときの江夏、いい球、来ていたよな」とボソリ。はっきり覚えているんですね、あのときの江夏の球を。なんかゾクリとしました。
次のバッターが末次(
末次民夫。のち利光)だったんだけど、あれは僕が忘れられない。江夏がバカにしたような超スローカーブを投げたんですよ。何だと思って焦ったけど、末次も焦ったのかショートゴロでした。たぶん、あいつ、あのホームランでがっくりきたんだろうね。それでも投げないかんからいい加減に投げたんでしょう。こっちは、おいおい、おい、でしたけどね(笑)。
どうですか、審判の話から少し脱線したような気がするけど、キャッチャーが見たアンパイアって結構、面白いでしょ。なんだかだまし合いをしていたように思うかもしれんけど、僕は現役時代、100%審判の味方でした。ベンチから審判をヤジるヤツがいたら「大丈夫、あとで言っておくから静かになると思うよ」とかよく言っていました。僕らキャッチャーが一番敵にしちゃいけない人たちでもありますしね。
審判も僕を信頼してくれたと思います。大阪の審判は、若い審判に「ブルペンでダンプさんが受けていたら後ろに行け」と言っていたらしい。僕のキャッチングはミットが動かんから分かりやすかったんでしょうね。
PROFILE 辻恭彦/つじ・やすひこ●1942年6月18日生まれ。愛知県出身。享栄商高から西濃運輸を経て62年夏阪神入団。75年大洋に移籍し、84年引退。その後、大洋、阪神、横浜のコーチを歴任した。通算974試合、418安打、44本塁打、163打点、打率.209。ダンプの愛称は同姓の捕手・
辻佳紀がいたためでもある。