「平成の怪物」松坂大輔が今季限りで現役引退することが7月7日、西武から発表された。夏の甲子園決勝でのノーヒットノーランから始まり、プロ入り後も数々の衝撃を球界に与えた剛腕。WBC、メジャー・リーグでも世界一に輝き、まさに平成時代をリードする怪物だった。ソフトバンクで日本球界復帰後、故障に苦しみ、中日を経て2020年に西武のユニフォームにソデを通したが、古巣での一軍登板はかなわなかった。栄光と挫折の野球人生。だが、その伝説は色あせない。 文=楊枝秀基[スポーツライター] 写真=BBM、Getty Images 
99年4月7日、一軍デビューの日本ハム戦[東京ドーム]でいきなり155キロをマークするなど周囲の度肝を抜き、8回2失点でプロ初勝利をマークした
それぞれの松坂大輔物語
人それぞれに松坂大輔物語があると思う。高校時代からその姿を追い掛け続けたファン。西武ドームで力投する姿にあこがれた少年たち。メジャー・リーグで、WBCで、世界の頂点に輝いた。そのシーンを目に焼きつけ、プロを目指した球児たちも。
日本球界復帰後、燃え尽きるまで現役にこだわる姿に勇気をもらったオヤジ世代もいるだろう。どれだけ多くの人々が「平成の怪物」に夢を求め続けたのだろうか。
2021年7月7日、西武が松坂大輔投手の今季限りでの引退を発表した。日米通算170勝を積み重ねたレジェンドは、23年の現役生活にピリオドを打つ決断をした。
このニュースを目にして、何百万、何千万もの人が何らかの感情を抱いたことだろう。それほど、影響力の強いアスリートだった。
当時、駆け出しのスポーツ紙記者だった僕も18歳のスーパースターに人生を変えられた一人だ。1998年ドラフトから一夜明け、横浜高での取材で松坂と初めて顔を合わせた。
同年夏の甲子園、準々決勝でPL学園高を相手に250球を投げた映像は衝撃的だった。その熱戦を僕は
巨人担当記者として、ジャイアンツ球場で元投手の趙成珉(
チョ・ソンミン[故人])さんとテレビ観戦していた。
趙さんはその年の球宴で右ヒジを痛めリハビリ中。「こんなにも投げたら、僕みたいになっちゃうよ」と故障の心配をしていたのが印象に残っている。
趙さんの心配をよそに・・・
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