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田中大貴のMonthly Column

田中大貴コラム 『松坂世代』あの夏から23年目の延長戦 「久保田智之は金属音を立てながら、唸りを上げるストレートを投げた右腕」

 

兵庫・小野高、慶大で活躍し、東京六大学リーグ戦では早大・和田毅(ソフトバンク)と真剣勝負を演じた元フジテレビアナウンサーで現スポーツアンカーの田中大貴は、1980年生まれの「松坂世代」の1人。そんな野球人・田中が、同年代の選手たちをプロ野球現場の最前線で取材した至極のエピソードを、コラムにして綴る連載第39回です。

3年夏の甲子園では3試合に登板。キャッチャー防具を脱いでマウンドに上がること自体珍しかったが、トルネード投法でも沸かせた


地方大学のすごいヤツ


「ウソだろ、150キロを超えるボールは空気を切り裂く音が違うんだ」

 彼と対峙(たいじ)したときにそう思ったのを今でも鮮明に覚えています。

 僕らが大学4年生になるころ、慶應義塾大は常磐大と練習試合を行いました。そのときにマウンドに上がったトルネード投法の投手を、僕らはベンチから食い入るように見ていました。

「とにかく速い。そして重く、鋭い。表情もまったく変わらない。こんな投手が地方の大学にいるんだ」

 その後、藤川球児ジェフ・ウィリアムスとともにJFKの「K」として阪神タイガースをリーグ優勝に導いた久保田智之。大学時代、彼と対戦したとき、すでに球速は150キロを優に超えていました。当時の東京六大学には、確かに150キロ前後のスピードボールを投げる投手はゴロゴロいました。けれど、久保田の投げるボールは空気を切り裂く音が金属音のように高く、「キーン」という音を上げながらキャッチャーミットに突き刺さるのです。抜群の球威と、その回転数を恐ろしいほど、体感させられたのを覚えています。

「98年の夏で一番覚えているシーンは捕手でもあった自分が甲子園のマウンドに立てたこと」と本人は言います。そう、久保田は高校時代までポジションは捕手であり、試合終盤になるとリリーフとしてマウンドに上がる選手でした。そして、あまり知られていませんが、大学時代までスイッチヒッターでもあったのです。その後、捕手も野手も捨て、プロの世界に進んでから投手に専念することになります。

「あの夏の最後の試合は、久保康友(元ロッテほか)擁する関大一高に大敗しました。僕は最後の打者でした。でも投手としてマウンドに立ち、抑えることができたことに関しては後悔はありませんでした」

 奇しくもその久保とは阪神で同じ縦じまのユニフォームを着ることになる久保田。藤川をはじめ、多くの松坂世代が所属したチームの1つが阪神タイガースでもありました。

「高校時代は松坂世代のみんなは雲の上の存在でした。レベルが違った。意識してたというより、同世代にすごい選手が多くいたことを誇りに思っていました。大学からは投手として勝負したいと思い常磐大に進学することにしました」

常磐大ではVol.37で紹介した小野寺力[元西武ほか。投手]とチームメートだった


 常磐大に進学し、いつか松坂世代の各選手と肩を並べたいと思い、久保田は投手として自らを鍛え上げてきたそうです。その後、西武ライオンズに入団するチームメートの小野寺力らとともに、地方大学の超大物選手としてドラフトでは注目を浴び、2002年のドラフト会議で5巡目指名を受け、阪神に入団することになります。

「阪神に入団した当初は同世代に負けたくないという気持ちは強かったです。特に球児は最初は負けたくない! と思っていました。けれど、すぐにこいつには勝てないと思いました。良きライバルでもあり、良き友でした。球児と一緒にプレーできたことを誇りに思っています」

 久保田は実働11年というプロ野球人生で444試合に登板。07年にはNPB記録となる90試合に登板した。同年にリーグ最多の46ホールド、08年に31ホールド、10年に28ホールドを挙げ、阪神の絶対的セットアッパーとしてクローザーの藤川にバトンを渡してきました。

05年の胴上げ投手


 彼は常に物静かでマイペースに見えます。秘めたる闘志と自分の中には確固たるこだわりを持つ男。けれど決して欲張りません。チームへの献身性は素晴らしいと同僚たちは評価します。誰に対しても態度は変わらず、時折にっこり笑うと相手に安心感を与え、思いやりがあります。

「引退後、球団から打診があったので二軍の打撃投手の仕事を担当したいと思いました」

 当時、34歳。阪神の絶対的セットアッパーとして輝きを放ってきた男は二軍の鳴尾浜で打撃投手として生きることを選びます。その判断に迷いはなく、球団からのオファーをすぐさま受け入れたそうです。鳴尾浜で若手に向かって日々、打撃投手として投げ込んでいる姿に違和感はなく、それが久保田智之らしさなんだと球場のスタンドから観ていて僕は思いました。

 2年間、ファームの打撃投手を務めたあと、彼は関東地区担当のプロスカウトとして在京他球団の二軍選手のスカウティングなどに没頭する日々を送ります。常にメモを持ち、黙々とそして淡々と自らの責務を全うする久保田の姿がバックネット裏にはありました。

「プロの世界へ進んで僕は良かったと思います。大好きな野球を仕事として選んで良かったです。これからの夢は野球界のために、子どもたちに野球を好きになってもらうこと。そして野球人口を増やしたい。野球界を盛り上げていける一人になっていければいいなと考えています」と、久保田はこれからの夢を語ります。

 現在は阪神の二軍投手コーチとして未来のJFKを発掘し、自身のように屈強で、強い精神を持ち、そして献身的な精神を持つ投手を育てる毎日を送っています。

「松坂にはまだ現役として頑張ってもらいたいと思っていました。本当に大変なことが多いと思う。彼には同世代のトップとして頑張り続けていること自体に尊敬の念を持っているし、彼がいるからこそ自分自身も頑張らないといけないと力をもらっている。松坂世代で僕は本当に良かったと思うし、誇りに思います」

 今季前半終了時点で、セ・リーグの首位に立つタイガース。前回のリーグ優勝は05年。その年の9月29日、リーグ優勝を決めた試合の最後のマウンドに立ち、胴上げ投手になったのが久保田でした。

 松坂世代・久保田が育てた投手が今後、タイガースが優勝する最後のマウンドに立つ日が来ると僕は信じています。彼のように金属音を立てながら、唸りを上げるストレートを投げる投手が出てくる日がやってくるのが、楽しみで仕方がありません。

久保田智之[元阪神、現阪神二軍投手コーチ]※写真は阪神時代


PROFILE
くぼた・ともゆき●1981年1月30日生まれ、埼玉県比企郡吉見町出身。滑川高3年時に夏の甲子園に出場。四番打者で正捕手ながら、終盤にはマウンドに上がり、豪快なトルネード投法で注目を集めた。常磐大ではリーグ通算22勝。03年にドラフト5位で阪神入団。3年目から中継ぎに専念し、05年は27セーブで優勝に貢献。07年はいまなおNPB記録のシーズン90試合に登板した。右ヒジ手術などの影響もあり、14年はキャリアで初めて一軍登板なしに終わり、同年限りで現役を引退。引退後は打撃コーチ、スカウトを歴任後、20年オフより二軍投手コーチを務める。現役時代の通算成績は444試合登板、41勝34敗47セーブ117ホールド612奪三振、防御率3.05。

PROFILE
たなか・だいき●1980年4月28日生まれ。兵庫県小野市出身。市場小4年時に野球を始め、小野南中では軟式野球部に所属。小野高では2年次から四番に座り、3年夏は主将を任され西兵庫大会8強。慶大では4年春に3本塁打で本塁打王を獲得した。慶大卒業後、フジテレビジョンに入社し、アナウンサーとして報道・情報番組、スポーツを担当。2018年4月いっぱいで同社を退社し、5月からフリーに転身。モットーは「今を生きる」。
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