『ドカベン』『あぶさん』をはじめ、たくさんの人気野球漫画を描いた水島新司さんが1月10日、肺炎のため東京都内の病院で死去。82歳だった。熱く、そして深く野球を愛した方だった。 なぜ南海ファンになったか
漫画家・水島新司(みずしま・しんじ)さんが1月10日、亡くなられた。『男どアホウ甲子園』(70〜75年)、『ドカベン』(1972〜81年。その後を描いた『大甲子園』『プロ野球編』もある)、『あぶさん』(73〜2014年)、『野球狂の詩』(72〜77年)、『一球さん』(75〜77年)、『球道くん』(77〜81年)など、代表作は枚挙のいとまもない。
水島さんの漫画を読んで野球を始めた子どもたちも多く、その中からプロ入り後、「ライバルは山田太郎(ドカベンの主人公)」と言った
清原和博(元
西武ほか)をはじめ、プロ野球の世界に入った選手もたくさんいる。
一番のヒット作は明訓高の山田を主人公にし、個性的なチームメート、さらにライバルたちが躍動した『ドカベン』だが、長く活躍された方なので、年代によって好きな作品も違ってくるはずだ。異なる作品の登場人物の“共演”も魅力だった。
共通点は、野球への深い愛と専門的知識が根底になければ描けないこと。実在選手が登場する作品も多いが、リアリティーとファンタジーの境目が絶妙な傑作ばかりだった。
水島さんには本誌にも何度となく登場していただいた。1976年8月2日号が一番最初のようだ。野球解説者で、このあと、西武で監督にもなった元
巨人・
森祇晶(当時昌彦)氏がホストを務める対談である。
少し抜粋していこう。まずは水島さんと野球とのかかわりからだ。
「僕が生まれたのは新潟なんです。家は魚屋をしていまして人を使うほど大きくないし、手伝いはいるということでね。それでラジオを聴きながら魚屋の手伝いをしていた。野球がものすごく好きなんですよ。だからもうイメージ野球ですね。いわゆるラジオを聴いて自分がやってるように想像してね。漫画の中にも、それがたまりたまったものが出てくるわけです。だから僕の夢が出てきているということですよ。自分がこうしたいというのが。それはまた読者の共通する夢でもあるわけです」
最初から野球漫画を描いていたわけではなかったが、「何か一つ自分だけの強い個性を持とう」と思い、大好きな野球をテーマにし、快男児・藤村甲子園が主人公の『男どアホウ甲子園』をスタートさせた。
大のパ・リーグファン、特に南海ホークス(現
ソフトバンク)ファンでも知られるが、その理由を聞かれ・・・
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