
野球好きで知られたビートたけし。左は長嶋茂雄氏
お約束連発も……
今回のダンプが会ったプロ野球選手以外の有名人シリーズは、ビートたけしさんです。
野球好きな方なので、何度も球場で会った、というか目撃したことはあるのですが、これは一番最初で、しかも対戦した話です。僕が
阪神のコーチになっていた1991年の秋、ファン感謝デーでのことでした。
YouTubeで見られるはずですが、このとき阪神は、ビートたけしさん率いる『たけし軍団』と軟式ボールでの試合をしました。チームには大の阪神ファンのダンカンさんもいて、甲子園で試合ができることにやたらと感激していたようです。
試合が終わってから聞いたのですが、たけし軍団というのは、高校野球経験者も多かったらしく、実際、レベルも高かった。先発したたけしさんも経験者らしく、なかなかのピッチングをしていました。
対して当時、阪神は5年連続Bクラスで、89年以外はすべて最下位。「12球団で一番弱い」と盛んにたたかれていた暗黒時代です。
もちろん、主力が出たわけじゃなく、若手の控え選手中心のチームで、ピッチャーはすべてコーチ。当然ですが、あくまで遊びの試合ですよ。
実は、この試合の先発が僕だったんです。当時49歳かな。現役時代はキャッチャーですし、体形は
広島時代の江夏(
江夏豊)みたいに、ちょっとお腹がぽっこりしていたので、みんな大したピッチングができるとは思ってなかったと思います。こちらも、どうせなら誤解されたままでとウォーミングアップも緩い球を投げてました。「肩が痛いな」と、たけしさんみたいな動きもしながらですね。
それが初回の初球でピュッとちょっと力を入れたら、速い球が内角に行って打者はのけぞり、みんなが「おおっ!」と沸いた。たけしさんがベンチから出て「危ないじゃないか!」とゼスチャーをしていましたが、もちろん、お約束みたいなもの。まったく危ない球ではありません。
実際の映像を見てもらえば分かりますが、僕は引退してからも肩は元気で、あのころでも、その気になったら140キロくらい出せたかもしれません。そこから緩急を使って、2回か3回かを無失点に抑えたと思います。まあ、プロが草野球に打たれるわけにはいきませんよね。たけしさんとも対戦し、しっかり打ち取ったはずです。
途中、たけしさんの危険球みたいな球で、阪神の吉田(
吉田浩)という選手がマウンドに突進し、そこから両軍が乱闘の真似事で集まったのですが、井出らっきょという人が輪がほどけたと思ったら、いきなり全裸になっていて大騒ぎでした。お約束の芸らしいですね。
そんな感じで、ほんわかと進み、試合は阪神が1対0でリードと、これもお約束どおりの結果になりそうだったのですが、最後の6回にたけし軍団が4点を取って逆転しちゃった。こっちは裏の攻撃で逆転できず、負けです。
別に勝った負けたの試合じゃないですから、そのときは、みんな笑顔で終わったのですが、たけしさんが言った「これで僕らが12位のチームになった」みたいな言葉をスポーツ新聞が大げさに膨らませて、「阪神はたけし軍団より弱かった!」「阪神が草野球に負けた!」と騒ぎまして、ちょっと悔しい思いもしました。
たけしさんは、僕のことを「ダンプという顔にマスクだこがある人」と言ってたらしいですね。頬のあたりが少し黒くなっていたからですが、あれは単なる日焼けです。さすがに引退して何年もたって残るような跡はありませんよ。
文通の思い出
この試合では若いときの
新庄剛志も出ていたと思いますが、彼が人気者になったのは、その次のシーズンでした。まだそんなに若い女の子にキャーキャーは言われてなくて、ファン感なのに、たけし軍団のほうが阪神の選手より人気があったような気がします。
そうそう、ちょっと思い出しました。この試合とはまったく関係ないのですが、僕にも熱心な若い女性ファンがいたんですよ。あれ? 信じてないですね。何年か文通みたいなこともしていたんですよ。
あれは阪神時代の20代のころですかね。小学5、6年生くらいの女の子が、僕の家にファンレターを送ってくれました。別に初めてじゃないですよ。熱心なファンはたくさん……いや、それなりにいて(笑)、ファンレターが珍しかったわけではありませんが、その子は週に1回くらいと熱心だった。甲子園にも、よく観戦に来ていたそうです。
僕は、すでに結婚していましたがその文面をうちの奥方が読んで、えらく気に入り、いつしか奥方公認の文通になったわけです。
最初はやっぱり小学生ですから、ただ「ダンプさん頑張ってください」みたいな内容が多かったのですが、中学生、高校生と年齢を重ねるにつれ、いろいろな情景描写が増え、文章もどんどんうまくなりました。大人になると、1年でそんなには変わりませんけど、この年代は1年1年で大きく成長するんだなと、文通しながら感心していたことを思い出します。実は、しばらく忘れていたのですが、昨年末の大掃除で手紙の束を見つけ、あらためて読んで懐かしく思いました。
今は生活様式も違いますけど、こうやって自分が感じたことを言葉に書き、誰かに伝えるというのは、子どもの成長にとてもよいことじゃないかとも思いました。メールやLINEは短いものばかりですしね。
今はもう50代でしょうか。結局、一度もお会いしたことはなかったけど、健康で、お幸せであればとお祈りしています。
PROFILE 辻恭彦/つじ・やすひこ●1942年6月18日生まれ。愛知県出身。享栄商高から西濃運輸を経て62年夏阪神入団。75年大洋に移籍し、84年引退。その後、大洋、阪神、横浜のコーチを歴任した。通算974試合、418安打、44本塁打、163打点、打率.209。ダンプの愛称は同姓の捕手・
辻佳紀がいたためでもある。