
引退試合でのダンプさん
観察は捕手の習性
きょうのお土産は、横浜で有名なおせんべいです。甘じょっぱくておいしいのですが、少し硬いから歯が折れんように気をつけてください。
本当は、いつものおはぎと思ったんですけど、お店が休みだったんですよ。最後の取材なのに残念でした(※ダンプさんに取材の際は、いつも6個入りのおはぎ2箱をお土産にいただき、会社で編集部の甘党に配っていた。大きいし、甘過ぎずで大好評でした!)。
渡すとき、みんなの反応は見ていますか? 誰からいただいた物か確認して、はっきりお礼を言う人、口をもごもごして何を言っているか分からない人、もらって当然みたいな顔をしている人といろいろでしょ。もらったあとも、食べてからちゃんと「おいしかったです」と言う人、何も言わん人がいます。おはぎみたいな、普段もらわない物をポンともらったときの反応って面白いんですよ。結構、素が出る。
もちろん、表に出た反応がすべてじゃありません。返事はいいけど、本当は特に感謝してない人、照れて何も言えなかっただけで、本当はすごく感謝している人もいるでしょう。そうやって、いろいろな角度から観察すると、その人の本当の姿が見えてきて、どんな言葉を掛けたらいいかも分かってくるはずです。
人の観察が好きなのは、キャッチャーの習性です。ボールに対するバッターの反応がまずありますよね。意外な球が来たと思って驚いたり、甘い球を見送って悔しがったりの表情は簡単に分かりますが、それを隠すタイプや
達川光男(元
広島)みたいに駆け引きだったりすることもある。でも、打席でだけじゃなく、練習やふだんの姿を観察することでだまされんようになってきます。
次に考えるのは、じゃあ、そのバッターにどういう配球をしていくかです。こういう場面で、こいつを迎えたらどうしようというのは、その打席だけじゃなく、それこそ寝てるとき以外はずっと考えています。頭の中で何回もやっていると、コンピューターじゃないけど、そのバッターが打席に入ると、一瞬で1球目これ、2球目これで、最後はこれで内野ゴロと頭に浮かぶようになります。
そして、そのとき例えば1球目で、相手がこちらの予想と違う反応をしたらしたで瞬時に対策が出てくる。だからサインを出すのがどんどん早くなり、ピッチングのテンポがどんどんよくなるので、さらにバッターが考える余裕がなくなるわけです。
今後、ピッチクロックが導入されると、バッテリーと打者の駆け引きがなくなると思う人もいるかもしれませんが、そんなことはまったくありません。あの時間があれば、余るくらいです。もちろん、しっかりそれが頭に入っているキャッチャーならですけどね。今みたいに打席のバッターを見てから考えてサインを出す人は困るでしょう。
昔は、僕みたいにグラウンド以外でも野球のことばっかり考えている人はたくさんいました。そういう人は駅のホームでもガラスに自分の姿が映っていたら必ずシャドーピッチングをしたり、バットを振る格好をします。今みたいに映像を簡単に見られる時代じゃなかったこともあるけど、ああやって、動きを止めたりしながら確認するのは、いい練習になっていた気がします。全員が全員じゃありませんが、便利じゃない分、いろいろ考えて技を磨いていた人はたくさんいました。
さて、最終回と言っても野球には延長戦がつきものですから……あれ? 延長はありませんか。情け容赦ないですね(笑)。
でしたら、1ページだから、こんなもんですかね。えっ、今回は2ページ版に復活? ありがたい。これもおはぎ効果ですかね(笑)。
愛犬の思い出
う〜ん、でもいざ最終回と言われると、何を話せばいいのか迷いますね。何を話しても長くなってしまいそうですから。ざっくりしますけど、僕のキャッチャーとしての基礎について話して終わりにしましょうか。
一番大きかったのは、昭和40年(1965年)からのブルペン生活です。「よし、一軍で頑張るぞ」と張り切っていた矢先、当時のコーチで翌年に監督となる
杉下茂さんに「ダンプ、ブルペン頼むぞ」と言われたので、最初はショックでした。これなら二軍でゲームに出ていたほうがましと思いましたが、途中から「キャッチングを磨こう」と前向きに考えました。
当時、シーズン中なら1日600球くらいは受けていたでしょうか。キャンプ、オープン戦も含めたら相当な球数だと思います。これを3年間やったおかげでキャッチングがそれなりにうまくなり、この投手をどうやったら勝てる投手にできるのかという引き出しもできました。だから42歳まで現役を続けられたような気がします。
阪神時代、力投型でフォークのある
村山実さん、長身でクセ球ばっかりの
ジーン・バッキー、若いのにコントロールがよく、打者との対決を楽しめる
江夏豊の3人とバッテリーを組めたことも大きかったと思います。大洋に行ったとき、ピッチャーをこの3人にあてはめながらやっていくことができました。
特に江夏と組んでの昭和43年(68年)は、プロ野球の歴史に残る名勝負の隅っこにいることができ、50年以上たってからも取材の話が来たりする。ほんと、あいつの家に足を向けて眠れません。
そうそう、一つこの連載で話していないことがありました。昭和43年の5月くらいから育て出したチワワに似た犬です。女房によれば、ある日、家の庭に入って来て、そのまま出て行かなくなったので、子どもと相談して育てることを決めたそうです。この犬が来てから、僕のゲームでの結果がすごくよくなったので、まさに幸運を運ぶ犬でした。
長生きをして昭和59年(84年)6月11日に老衰で亡くなりました。なんで日にちまで覚えているかというと、この日が大洋監督の
関根潤三さんにクビを言い渡された日だったからです。僕の選手生活を見届け、僕の手の中で息を引き取りました。丁重に埋葬したのは言うまでもありません。
では、皆さん、長いことご愛読ありがとうございました。またどこかでお会いしましょう……で、ほんとに終わりでいいんですか。あとでもったいないことしたと思っても遅いですよ(笑)。
(※ダンプさん連載を書籍化したいと思っています。決まったら告知しますので、そのときはよろしくお願いします。ダンプさん、おはぎごちそうさまでした!)。
PROFILE 辻恭彦/つじ・やすひこ●1942年6月18日生まれ。愛知県出身。享栄商高から西濃運輸を経て62年夏阪神入団。75年大洋に移籍し、84年引退。その後、大洋、阪神、横浜のコーチを歴任した。通算974試合、418安打、44本塁打、163打点、打率.209。ダンプの愛称は同姓の捕手・
辻佳紀がいたためでもある。