阪急黄金時代の名脇役として名を馳せた住友平氏が10月11日、細菌性肺炎のため大阪・豊中市内の病院で死去した。80歳だった。 写真=BBM 
現役時代はいぶし銀の選手として阪急を支えた
浪商高(現・大体大浪商高)時代には2年夏、3年春夏と3度甲子園に出場した住友平。1961年夏には同学年の
大塚弥寿男(
ロッテ)、
大熊忠義(阪急)、2年の“怪童”
尾崎行雄(東映)、1年の
高田繁(
巨人)らとともに全国制覇を果たした。明大を経て66年ドラフト3位で阪急入団。1年目から二塁手で出場機会を得て、
西本幸雄監督の下、67年から3連覇、71年から連覇を果たして黄金期を築いた阪急で欠かせない存在となった。
2年目の67年には珍しい記録もつくった。7月30日の東京戦(東京)の2回裏だ。無死一、二塁からセカンドライナーを捕った住友はすぐに二塁ベースを踏み、走ってきた一塁走者にタッチし、史上初の補殺なしの一人トリプルプレー。この「無補殺三重殺」は・・・
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