週刊ベースボールONLINE

訃報

阪神のレジェンド吉田義男が死去 タイガースを愛し続けた球団初の日本一監督&名遊撃手

  2

「今牛若丸」の異名をとった阪神の元遊撃手で、監督としては球団初の日本一を達成した吉田義男氏が2月3日、脳梗塞で死去。91歳だった。
写真=BBM

1985年、吉田監督率いた猛虎軍団が、日本シリーズで西武を4勝2敗で下し、球団初の日本一に。日本列島に「虎フィーバー」が巻き起こった


野球小僧のまま


 90歳を過ぎても元気な姿が印象的だった。阪神タイガースを愛し、野球が大好きだった。沖縄・宜野座キャンプでのこと。当時80半ばだった吉田義男氏はスポーツ紙の企画でインタビューを取るために、室内練習場の前で待機をしていた。

 気が付くと吉田氏はボールを練習場の壁に当て、跳ね返りのボールを捕球しさっと持ち替え、また壁にボールを当てる壁当てを何度も繰り返していた。「小さいころから、よくやってましたわ。身についているんですね」と笑いながら語ってくれた。名将であり、名遊撃手であるにも関わらず、野球小僧のままだった。

 現役時代は165cmと小柄ながら「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われ、捕ったらすぐ投げる機敏なプレーで「今牛若丸」というニックネームが付いた。当時の三塁手・三宅秀史、二塁の鎌田実とともに鉄壁の内野手と呼ばれ、試合前の守備練習で銭が取れると言われたほどだった。「横(三塁)に三宅がおったから、こいつには(負けん)、と思いながらプレーしとったし、セカンドの鎌田もそう。お互いに切磋琢磨しながらやってた」と吉田は当時のことを語っている。

 また三遊間を組んだ三宅は・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

この記事はいかがでしたか?

HOT TOPICS

HOT TOPICS

球界の気になる動きを週刊ベースボール編集部がピックアップ。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング