昨秋は県大会準優勝で九州大会では1勝を挙げ、8強に進出した。県下屈指の進学校の快進撃に、地元は湧いた。突出した選手がいるわけではないが、工夫した取り組みで強豪校に対峙してきた。4強に進出した1951年以来遠ざかるセンバツ選出を信じて、着々と準備を進めている。(学年表記は26年4月以降の新学年) 取材・文=尾辻剛 写真=上野弘明 時間の使い方を重視
長崎県内屈指の進学校である長崎西高は、文武両道などを評価されて21世紀枠の九州地区推薦校に選出されている。投打とも飛び抜けた力を持つ選手は不在。だからこそ工夫が必要となる。校訓は「自律」。野球部は「時を律する」という意味を込めた「時律」をテーマに日々、効率的な練習に取り組んでいる。
平日の練習時間は午後5時から1時間半しかない。連日7限まで授業があり、授業を終えるとユニホームに着替えて、2.5キロ離れたグラウンドまで走る。これがウォーミングアップ代わりで、同5時から一気にメニューをこなすのである。同6時半に練習を終えると再び校舎までランニング。下校時間が午後7時に設定されており、学校に置いてあった制服に着替えて帰宅する。
佐世保西高の野球部出身で、佐世保北高などでも監督経験がある就任2年目の宗田将平監督は「このチームは時間の使い方がヘボかったら勝てない。理詰めで練習の目的をしっかり伝えています」と言う。「選手がいないとか、練習時間がないとか、環境が良くないと、僕は燃えるんです。力がないなら、力がないなりの練習、戦い方をすればいい」。日本史の教員でもある指揮官は野球だけでなく勉強、食事、睡眠のバランスも重要視しており、練習後は「早く帰れよ」と無駄な時間を許さない。45分間の昼休みも有効活用し、教室を1室借りてランチミーティング。練習メニューの説明や、公式戦前は対戦校の分析を行う。

宗田監督は工夫を凝らした取り組みで、強豪校との差を縮めてきた
分析を担当するのはマネジャー。部員全員が長崎県内出身で、選手28人に対してマネジャーは10人(男子4人、女子6人)を数える。アプリを駆使して相手の投手や打者の傾向を割り出し、自分たちの練習の評価も行う。東大野球部でアナリストになることを目標に掲げる山口陽大マネジャー(3年)は「栄養のことや分析でチームの力になる」と力強い。分析以外にもメディカル、会計、広報など担当を分けており、宗田監督は「チームの大きな戦力です。将来、医者になりたい子には、肩や肘の勉強もしてもらってケガ人にも生かします。なるべく進路に沿った担当にしています」と説明した。

マネジャー10人は貴重な戦力。卒業後は東大野球部でのアナリストを目指す部員もあり、高レベルでの分析を行っている
チームの約束事を順守
昨秋の長崎大会は準優勝。チーム打率.207と打撃面は苦しんだものの、持ち味である機動力を発揮した。普段から[1]投手が打者に集中[2]投手が走者に集中[3]けん制がない――の3パターンを強く意識。相手心理を読みながらプレーしている。大崎高との準決勝では投手のクセを見破り、大町悠透外野手(2年)が二盗、三盗に加えて本盗にも成功。長崎日大高との決勝では2回二死一、二塁から一塁走者が一、二塁間で挟まれている間に二塁走者が一気に生還するトリックプレーで先制点を挙げた。連打が出なくても走塁を絡めて得点する形を築き上げている。
加えて光ったのは堅実な守備。宗田監督は「思った以上に守備力が成長した」と振り返る。「秋の結果を見ると守備のチーム。走れる選手も何人かいますけど、守りのミスが少なかった。それが勝ち進んだ要因です」。チームで意識するのは、これが出ると敗戦に直結してしまうという「必敗法『5B+E』」。[1]四死球[2]バントミス・バント処理ミス[3]バッテリーミス[4]ボーンヘッド[5]ベースランニングミスの「5B」と失策の「E」をいかに減らせるか。そこに苦心しながら僅差の試合をものにしていったのだ。
長崎西高には県大会でベスト4以上に入れないと、学校側から土日や祭日に終日練習の許可が出ないという厳しい条件がある。それまでは土日でも午前9時から午後1時までの練習時間だったが、昨秋以降は午後3時過ぎまで練習できるようになった。ただ、それでも土日のどちらか1日だけになることが多いという。そんな中で臨んだ九州大会は、唐津商高との初戦に8回
コールド勝利(9対2)。勝てばセンバツ出場が濃厚となる九州国際大付高との準々決勝に敗れた(0対5)ものの、ベスト8進出の実績は胸が張れるものだ。
九州国際大付高が明治神宮大会を制したことで、神宮大会枠での出場の可能性も残る。宗田監督は「選ばれればいいんですけど」と話し、現在は「打たないと勝てない」と打力向上に注力している。12月からは1200グラムの重いバットを使用して打撃練習。パワーアップを図っている。実戦形式の「スピードゲームペナルティ」も取り入れ、攻守交替30秒以内などが守れないと、ペナルティとしてスクワットなどが課される。
エース右腕・熊寛生(3年)を軸とした投手陣は、コンディショニング&トレーニングコーチの安藝隆房氏を招いて強化している。宗田監督が「投手は物理から勉強しています」と言うように、安藝氏の指導はバイオメカニクスから始まる。「地面反力をいかに利用するか。並進運動では運動エネルギーの仕組みや、股関節や腕の使い方など、物理と解剖学をレクチャーしています」。故障にも注意し、各投手に合った動きと理想的な投球フォームを教え込んでいる。
甲子園で「H」ランプ
野球部には大きな目標がある。春夏連続で甲子園に出場した1951年。春は4強に進出したものの、当時は校歌がなく旧制中学校の校歌を斉唱した。校歌ができたのは同年12月。30年ぶりに出場した81年夏の甲子園は初戦で敗退したため甲子園での校歌斉唱は悲願なのである。同年夏は名古屋電気高(現・愛工大名電高)の
工藤公康(元
ソフトバンク監督)にノーヒットノーランを許した。センバツ4強の過去は忘れ去られ、話題になるのはいつもノーノー。長崎大会では安打数が少なく、宗田監督は九州大会前に「お前たち、ノーヒットノーランされて、また有名になるぞ」とハッパをかけたという。甲子園で「H」のランプを灯すことも悲願であり、昨秋は主に二番・左翼だった大町は「甲子園で一番打者として打席に立ちたい。先頭打者でヒットを、欲を言えばホームランを打ちたい」と意気込む。
桑原直太郎主将(3年)は「甲子園で勝つための練習を頑張っています」と前を向く。「選ばれなかったら、春の九州大会を目指します。夏が本命なので、夏につながるようにやっていきたい」。練習では選手同士で課題を指摘し合うシーンもしばしばある。チームの特徴を、桑原は「何でも言い合えて、絆が強い」と説明。練習時間は限られていても、グラウンドは常に元気な声が飛び交い、活気にあふれている。

三塁手の主将・桑原が部員38人を束ねる。目立った選手はいないため、全員で勝利をつかみにいく