
サプライズ出席した後輩らと花束を手に記念撮影。写真は左から奥川、高橋、石川、小川、山野
みんなで築いた188勝
「悔いはないです。本当にめちゃくちゃ楽しい25年間でした。本当に幸せでした。(自分に)大きな花丸をあげたいです」
それは、涙のない爽やかな、実に
石川雅規らしい引退会見だった。プロ生活25年、現役最年長となる46歳での幕引きは自ら決めた。8月27日、今季初登板となる
巨人戦(神宮)においてわずか1/3イニング6失点で降板。期する思いを抱いて臨んだ数少ないチャンスをモノにすることはできず、この日の試合後、「家族にしっかり気持ちを伝えて決断しました」と淡々と振り返った。

今季初登板となった8月27日の巨人戦[神宮]で先発。1回途中で降板も「悔いはない。最高の神宮のマウンドだったと」話した
公称167cmと決して体格に恵まれていたわけではなかった。2001年ドラフト自由獲得枠で
ヤクルトに入団する際には「本当に大丈夫なのか?」と心配する声も多かったという。それでも、ルーキーイヤーとなる02年には12勝で新人王、08年には最優秀防御率、ゴールデン・グラブ賞を獲得。開幕投手は9度、2ケタ勝利は11度も達成した。入団以来24年連続勝利はプロ野球記録である。
代名詞であるシンカーは相手打者にとって脅威だった。それでも、石川のこだわりはストレートにあった。
「みなさんにはシンカーのイメージがあると思います。でもやはり基本は真っすぐなので、いくら遅くてもしっかりと真っすぐを投げ込む。スピードガンの表示ではない、バッターが嫌がる真っすぐを投げたいという思いがすごくあったので、一番大事なボールはストレートです」
通算成績は188勝194敗。目指していた200勝にはわずかに届かなかったものの、それでも悔いはない。会見において石川はこんなことを口にした。
「辛いときとか、しんどいときに、200勝という大きな目標があったからこそ、『188』という勝ち星をみんなで築き上げることができたので、『188』は本当に誇りに思っています……」
注目したいのは続く言葉だ。
「……負け数も多かったので、すごく申し訳ない気持ちと悔しい思いはありますけど、それだけマウンドを託していただいたこと。194敗も自分らしい、誇らしい数字だと思っています」
かつてスワローズのエースだった
松岡弘氏は191勝190敗で引退した。200勝まで「あと9勝」を惜しむ周囲に対して、彼は後に「190敗もしたのに、それでもみんなが自分にマウンドを託してくれた。僕はそのことを誇りに思っている」と口にした。まさに石川も同様の思いを抱いていたのである。ちなみに、本拠地・神宮球場における歴代最多勝利は石川と松岡氏がともに91勝で並び、歴代トップタイとなっている。
愛し愛された野球人生
真っすぐにこだわり続けた男は、真っすぐな人柄で誰からも愛された。会見では、後輩たちへの激励もあった。
「野球選手としてやらなきゃいけないときと、無理をしてはいけないときは絶対にあると思う。その敏感なところと鈍感なところをうまく持ち合わせながら、本当に細い道ですけど、綱渡りのように大好きな野球人生を歩んでいってほしい」
彼は常々「敏感力と鈍感力が大切だ」と口にしていた。その哲学をあらためて強調したのである。会見終了後、サプライズで登場した
小川泰弘、
高橋奎二、
山野太一、そして
奥川恭伸はそれぞれ、「石川さんから学んだことを受け継ぐ」「石川さんに恩返しをしたい」と宣言。後進たちに確かにバ
トンが渡された瞬間だった。
冒頭で述べたように、この会見において涙はなかった。淡々と言葉を紡ぎ、ときには白い歯も見せた。特に笑顔が弾けたのは25年間在籍したヤクルトに対する思いを問われたときのことだった。
「ヤクルトに入って良かった。ヤクルトでめちゃくちゃ良かった」
チームを、仲間を、ファンを愛した男は誰からも愛され、惜しまれてユニフォームを脱ぐ。かつて石川は言っていた。
「もし辞めるときが来たら、号泣じゃなくて『楽しかった! ありがとう!』で終わりたい。だって古田(
古田敦也)さんに投げて、高津(
高津臣吾)さんがセーブを挙げて、青木(
青木宣親)が隣にいて、村上(
村上宗隆)のホームランを間近で見られた。こんな幸せな人生はないですから」
まさに有言実行。完全燃焼で駆け抜けた25年間。四半世紀に及んだプロ野球人生に悔いはない。球史に残る「小さな大投手」は記憶にも、記録にも残る活躍を見せてついにマウンドを降りる。
ありがとう、小さな大投手。長い間お疲れさま、石川雅規――。
文=長谷川晶一 写真=井田新輔