バッティングは左に引っ張るものという“偏見”にとらわれていた
読者の皆さんは、すでにお気付きでしょうが、パ・リーグの打率争いがすごいことになってますね。極端な話、首位の
李大浩(
オリックス)から10位の
糸井嘉男(オリックス)まで(6月4日現在)、だれにでもリーディングヒッターのチャンスがあるという感じです。セ・リーグの
中日・ルナのように、4割近い高打率をマークする打者はいませんし、チームの順位争いも、5チームが借金なしという混戦状態(4日現在)。打者も気を抜くことはできませんからシ烈な争いは当分続くことでしょう。
読者は「こういう胃が痛くなるような厘差の争いの日々、打者はどんな気持ちで毎日打席に入るのか。仕事とはいえ、つらく、厳しい毎日だろうなあ」と想像するかもしれません。
でもね、打者は案外平気なんですよ。“タイトル亡者”のような変人ならともかく、選手はチームが勝つために毎日プレーしてるワケですから、勝てば自分の打率なんかどうでもよくなる。
とは言っても、タイトルが獲れるときというのは、やはり、自分でも分かるんですよね。最終的にはどうなるかは神のみぞ知るだけど、何かが、どこかが前年までと違うんです。
オレが首位打者を獲得した1956年はプロ入り4年目。オレがこの年の年頭に真っ先に頭に浮かんだことは「そうか、オレが立教に入っていたらもう4年生になるんだなあ。最上級生か……」、これでした。120パーセントぐらいの確実さで立教進学が決まっていたのに、家庭の事情でプロ入り。プロ3年間で、何とか一人前になれたかなとオレは思い始めていたのですが、突然のように「立教に入っていたら……」なんて気持ちに襲われる。オレは、やっぱり大学に行きたかったんだなあ、としみじみ思ったことでした。と同時に何とも言えない悲しさを覚えました。この悲しさは1日で消えてくれましたが、オレは「大学へ行ってたら来年は卒業。オレも卒業するつもりで一丁やってやるか」となりました。
プロの打者としてなかなか卒業できなかったのは、右方向に強い打球を打つ技術を身につけることでした。オレの体の中には、高校時代から「バッティングでは豪快に左に引っ張るもの」という抜きがたい“偏見”がありました。当時の田舎の高校の四番打者なんか、みんなそうですよ。
プロの投手は、オレが引っ張り専門なのを見て取ると、外角の厳しいところばかり攻めてくるようになった。右のプルヒッターというのはね、どうしても左足を開き気味にしてスイングするものなんです。でも、このスイングでは外角には届きません。オレは外角攻めにあうと、「アウトコースって、こんなに遠かったんだ。どうすればいいんだ」とパニックになりました。
それが、4年目になると、だいぶ落ち着いてきました。それはね、五番打者の
関口清治さんあたりから「バッターは振ってナンボ。三振を怖がるな」とアドバイスされたのと、「打てないものは打つな」と自分を抑えられるようになったことです。「打てないものは打てない」ではなく「打つな」です。「打てない」では、ただのあきらめになっちゃいます。文字ではわずかの違いですが、打席では天と地ほどの違いになります。
米田投手の顔のあたりへビュ~ンをものともせず外角球を右へ痛打
まあでも、若いときは何でも打ってやろうとなるんですよねえ。今週号は、剛速球の特集だそうですが、一流投手のストレートなんか、絶対にフルスイングできません。オレもつい、「その投手の最高のボールを打ち砕け」なんて書いてしまいますが・・・
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