戦後の46年にスタートのセネタースが大下弘を生み、彼が西鉄へつなぐ
恒例となった「ライオンズ・クラシック」ですが、今年はオレがプロデューサーの1人ということになりました。
いやしかし、今回はプロ野球スタートの1936年まで一気にさかのぼるというエライことになってしまいました。「どうして戦後スタートのライオンズが、そんな大昔の時代と関係があるの?」と疑問に感じる読者もいることでしょうが、昨年、旧
西武鉄道(現在の西武新宿線)の前身である武蔵野鉄道が開業してから100周年に当たったことから、今年、その旧西武鉄道が共同出資者だった、36年創立のプロ野球チーム、「東京セネタース」を思い出していただこう、というのが今回のライオンズ・クラシックの趣旨なのです。
で、7月26日~28日の
オリックス戦(西武ドーム)で、ライオンズナインは、当時の東京セネタースのユニフォームでプレーすることになりました。
ライオンズのプレスリリースには、「日本のプロ野球には歴史に対する敬意が、まだまだ足りないと感じていました。そんな中、プロ野球元年、1リーグ時代のチームにスポットを当てるなんてすばらしい。プロ野球がスタートした36年は私の生まれた1年後。人間が祖先をたどっていくように、私が望むのは各球団がプロ野球や自球団の歴史を尊重すること。先人たちの苦闘を忘れず、あの時代あって、あの人がいたから今のプロ野球があるのです。この連鎖がプロ野球の歴史ですよ」というオレのコメントも載ってますが、これはいつもここで言っていることです。
「それにしても、戦前の西武鉄道の持っていたチームを引っ張り出すのは、ちょっと強引じゃないの」と苦笑する人がいるかもしれませんが、これがちゃあんと西武ライオンズにつながってくるのです。
東京セネタースは戦争が始まるころから合併や吸収を繰り返し、翼→大洋→西鉄となって43年に消滅するのですが、この「西鉄」は、西武鉄道の「西鉄」なのか、西日本鉄道の「西鉄」なのか、オレには分かりませんが、もし、後者だったら、ここで西鉄につながっちゃう。
戦後の46年、東京セネタースの初代監督だった
横沢三郎さん(明大出、元パ・リーグ審判部長)たちが、今度は、「東京」を取り外した「セネタース」を立ち上げました。東京セネタースとセネタースに直接の継承関係はないのですが、このようにつながりはあるのです。明大ラインで、ここに入ってくるのが、あの
大下弘さん。セネタースは1年で経営権を東急に売り渡して「東急フライヤーズ」となりますが、大下さんは、この東急カラーがどうも合わなかったようで、52年のシーズンに入るとすぐ、前年にスタートした「西鉄ライオンズ」に移る。
どうです?ここでライオンズは東京セネタースとつながったワケです。西鉄が太平洋→クラウン→西武となって埼玉・所沢に移ってきますが、これは西武線沿線。なんのことはない、東京セネタースの故地に戻ってきたのです。東京セネタースの本拠地・上井草球場は西武新宿線の沿線にあるのですから。
こうして東京セネタースから西武ライオンズまで、歴史はグルッと円を描いて1周したワケです。
面白いですよねえ。結局ね、こういう円になるのは、人間が・・・
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