「つなぐ四番」
松田宣浩の存在なくして、前半戦のタカ打線は語れない。六番としてスタートした8年目の今季、ペーニャ、ラヘアの両外国人の不振もあり4月10日の
オリックス戦(北九州)で初めて四番に座った。重圧の中で調子を落とし15試合で四番から「降格」となったが、5月28日に再び復帰。交流戦で打率ランキング1、2位を独占した長谷川と内川という「左右のヒットマン」に挟まれる打順で、自身も同3位となる.360の高打率を残し、交流戦4度目の優勝に貢献した。
苦しみ抜いた末に「つなぐ四番」をつくり上げた。5月の前半は特に不振に苦しんだ。5月の月間打率(23試合)は.217。だが、これが新境地へのきっかけとなった。「 結果が出なくて、練習でも試合でもセンターから右方向へ打つようにした。絶対に僕の中ではあり得ないことだった」
元来、左翼側へ思い切り引っ張るプルヒッター。だが、極度の不振から意識を180度変えた。四番という立場ながら、長打より右方向中心の単打狙いにシフトした。
6月13日の
ヤクルト戦(ヤフオクドーム)では、プロ入り後自身初の1試合5安打もマークするなど、5月20日から6月23日まで、22試合連続安打を記録した。これは1989年の球団の福岡移転後では最長で、球団歴代でも3位となる記録。6月25日の
日本ハム戦(東京ドーム)で無安打となり記録は止まったが、翌26日からは再び6戦連続安打。球団記録は28試合(1988年=バナザード)だっただけに「あそこ(6月25日)でヘマしなかったら、バナザードを抜けてたのに」と自虐的に笑う新時代の四番が、後半戦も暴れ、チームをVへ導く。