
文=大内隆雄
小社は来年、創業70周年を迎え、「週ベ」も58年の創刊から58周年となる。まあ、長い年月ではある。「週ベ」の姉妹誌である隔月刊の「ベースボールマガジン」は、創業の46年発行だから、こちらも70周年となる。
この「ベースボールマガジン」の“父親”に当たるのが、戦前、何誌かあった野球専門誌中の雄であった月刊の「野球界」(博文館内野球界社発行)である。プロ野球スタートの36年までは、東京六大学野球と中等野球(現在の高校野球)が中心だったが、プロ野球が始まったら、かなりのページを割くようになり、グラビアページにも
沢村栄治、
スタルヒン、
川上哲治、
景浦将、
若林忠志、
西村幸生ら、
巨人、
阪神のスター選手を中心に多くの選手が登場した。
しかし、5年後の41年には太平洋戦争が始まり「敵性スポーツ」の野球はどんどん誌面のスミに追いやられ、「野球界」の誌面のほとんどは大相撲の記事と写真で埋められてしまった。これではまるで「相撲界」。
それでも六大学は、42年の12月1日号までグラビアページがあったが、プロ野球は、同年10月15日号を最後にグラビアページから消えた。本文記事では、プロ野球ものは細々と続いたが……。
今週の写真が、その「最後のプロ野球グラビア」。9月24日の巨人-大洋11回戦と南海-名古屋11回戦(ともに後楽園球場)で4ページ。これは1ページ目の巨人勢。練習のためグラウンドにいままさに散ろうとする1枚。左端がこの試合先発のスタルヒン。手前が
中島治康(
永沢富士雄かもしれない)。中島は2回に大洋の先発・
三富恒雄から左中間に大本塁打している。試合は6対5で大洋の勝利。大洋の
野口二郎はリリーフで29勝目をマーク。この年40勝で最多勝に輝く。
プロ野球はこの年各チーム105試合を挙行、翌43年も曲がりなりにも84試合を行っている。それでも、野球専門誌に“無視”され続けるような存在だった。プロ野球は44年、35試合しか戦えず、そのまま休止。桧舞台の後楽園球場も、戦争末期には東部軍の高射砲陣地となり、グラウンドはジャガイモや、カボチャ畑となった。現役諸君は、この歴史を忘れてはいけない。