
文=平野重治
4月14日付の日刊スポーツ(東京版)の4面の囲み記事、「野球の国から」の沖縄考(1)(宮下敬至記者担当)はなかなかよかった。沖縄は、いまや“キャンプ銀座”と言われるほどで、設備の整った球場がたくさんあるが、昔はそういう球場がほとんどなかった。
それが、1981年の
日本ハムの名護キャンプ挙行を契機に、各球団がどんどん沖縄キャンプをスタートさせ、現在のようなキャンプ最適地となった。
記事中には、
楽天・
星野仙一副会長の「石川、北谷、宜野座。
中日でも
阪神でも、プロ野球のキャンプ地を沖縄各地に持っていって、環境を整えることに力を入れた」という言葉が載っていた。さらに同副会長は「野球場はみんなの宝物になる。子どもたちが『ここでプレーしたい』と思う」と続けた。プロ野球が進出するのと歩調を合わせるように沖縄の高校野球が強くなっていったのは、偶然ではないだろう。
金武町には、楽天が沖縄本島での拠点とする「金武町ベースボールスタジアム」があるが、ここで高校のチーム同士が1試合を行う場合、使用料は、わずか1000円!沖縄は、いまや日本の野球先進県となったのだ。
それにしてもなぜ各球団は80年まで沖縄に目を向けなかった のだろうか。それは、「沖縄は2月に雨ばかりで練習にならない」という“俗説”がハバを利かせていたからである。81年の日本ハムも、その点は大いに不安だった。八代亜紀のヒット曲「雨の慕情」を口ずさんだ選手が、
大沢啓二監督にジロリとにらまれた、なんてこともあった。夜のネオン街でも「雨」のつく歌はご法度だったそうな。たしかに、名護の2月の降雨確率は60%以上で、大沢親分がナーバスになるのは分からないではない。しかし、2月1日から16日までのキャンプ期間中、雨が降ったのは、半日が2日。合わせて1日分。心配は杞憂に終わった。このシーズン、日本ハムは初優勝を遂げる。写真は81年のキャンプ中の名護球場の全景。一塁側スタンドはまだ工事中だ。