与田剛(1965〜) 「表示は見ません。声で感じるんです」 150キロを超えるストレートを投げるピッチャーは今でこそ増えたが、かつてはプロ野球ファンにとって、そしてスピードを追い求める投手にとって150キロ台はある種の聖域だった。
1990年にドラフト1位で
中日入りした与田剛も、その領域に足を踏み入れ、観客を魅了した一人だ。
社会人時代の最速は140キロ台後半だったが、プロ1年目のオープン戦から150キロ台を連発。故障の
郭源治に代わり開幕からクローザーに定着すると、最速157キロの直球を武器に新人記録の31セーブを挙げ、新人王、最優秀救援投手を受賞。球界にセンセーションを巻き起こした。
球場内の表示板に150キロ超の数字が点灯するたびに、スタジアムはどよめいたという。当時のインタビューで与田は次のように語っている。
「表示は見ません。(観客の)声で感じるんです。ああ、150キロ出たかな、と。ワーッと言ってくれるのがうれしくて、ゾクゾクッとしますね」
それが、投げた者のみぞ知る150キロの快感。
ただ、腕もちぎれんばかりの全力投球はその右腕に変調をきたし、トレーナーからは再三ストップがかかっていた。それでも自らの意思でマウンドに上がり続け、ルーキーイヤーを戦い抜いた与田。酷使がたたり2年目以降は苦しいシーズンが続き、2000年限りで太く短い現役生活を終えたが、自身は引退に際し、「もしあのときドクターストップを受け入れていたら、1年目の僕はなかったわけですよ」と語っている。
自らの投手生命を注ぎ込んだ150キロだった。