中大時代には3年先輩の
穴吹義雄(南海)の異名を引き継ぎ「ゴジラ2世」と呼ばれた和製大砲・
桑田武。大洋に入団した1959年、ルーキーながらいきなり四番に座り、持ち前の長打力を発揮した。
開幕第2戦の
広島戦で2打席連続弾を放ったのを皮切りに、その後もアーチを量産。当初は「打率.250、本塁打10本」を目標に掲げていたが、終わってみれば前年デビューした
長嶋茂雄の29本を抜く31本塁打。現在も86年の
清原和博(
西武)と並ぶ新人のプロ野球最多記録で、
中日・
森徹とともに本塁打王を獲得、新人王にも輝いた。
全盛期の
金田正一(国鉄)とも対戦し、本塁打をマーク。大学時代にテレビなどで金田の投球を見て、カウントを整えるスローカーブに目を付けていた桑田。「もしプロに入ったら狙おうと思っていたんです」という、そのボールをとらえた一発だった。
翌年も打率3割をマークしチーム初の日本一に貢献。同じ三塁手として長嶋のライバルとも目されていた桑田は、3年目の61年には94打点を挙げ打点王を獲得し、長嶋の三冠を阻止。そこから7年連続20本塁打以上を記録するなど、投の秋山と並ぶチームの顔としてチームを支えた。
三原脩監督(当時)は桑田を「まれに見る性格の温厚な選手」と評しており、本人も「三冠王だのホームラン王だと言わず、楽しい野球がしたい」と当時のインタビューで語っている。その性格は、三原の後任の
別当薫監督からは「気力がない」と酷評され、10年目のオフにトレードで
巨人へ。翌70年に
ヤクルトへ移籍し同年限りで引退した。