
100安打まであと1本に迫っていた10月11日の東洋大2回戦で、記録を達成。2年春から今春まで5季連続で打率3割以上と、好不調の波がない/写真=山口高明
リーグ史上24人目の快挙!!
もし「あのとき」がなければ、国学院大の
山崎剛(4年・日章学園高)は東都大学リーグ屈指の巧打者となり、通算100安打を達成することはなかったかもしれない。
10月11日の東洋大2回戦。「一番・二塁」で出場した山崎は試合開始から2球目を中前にはじき返し、リーグ史上24人目、国学院大としては初めて通算100安打に到達した。試合後、山崎は「光栄に思います」と人懐っこい笑顔を見せた。
5年前の秋。国学院大・上月健太コーチはある選手を視察するために宮崎を訪れた。日章学園高の練習試合を見ていて、お目当ての選手以上に、初球から思い切って振りにいく小柄な左打ちの選手にクギづけ。それが当時、高校2年の山崎だった。
上月コーチは視察から戻ると、鳥山泰孝監督に「山崎は将来、ウチの内野でレギュラーになる選手だと思います」と報告した。あのとき上月コーチの目に留まっていなければ、山崎は国学院大に進んでいないかもしれない。上月コーチは山崎の大台到達に「レギュラーになるとは思ったけど、まさか100安打も打つとは」と、顔をほころばせた。
亜大・山崎康晃と初対戦した「四球」が転機
もう一つの「あのとき」は大学1年春。リーグ戦デビューから2打席目で、当時亜大のエースだった
山崎康晃(現横浜
DeNA)と対戦した。勝ったほうが優勝という大事な試合。1点を追う10回裏に二死三塁の場面で代打として起用され、四球を選んだ。「実は球が速くて手が出ず、勝手に四球になっただけなんです」。山崎は苦笑いで打ち明ける。
積極的な打撃がモットーなのに、一球もバットを振れなかった。この経験から常に山崎康の投球をイメージして練習するようになったことが、のちの結果につながる。2年春に打率.400で初の首位打者を獲得。それから4年春まで5季連続で3割以上の打率をマークし、ついに100安打まで積み上げた。山崎は感慨深げに言う。
「あのとき、山崎さんの球を打てないと東都では活躍できないと分かりました。あれがなければ、今の自分はないかもしれませんね」
プロのスカウトは今春の時点から山崎の打撃だけではなく守備や走塁も含めて高く評価。「プロで使える選手」と注目していた。だが、山崎自身はプロ志望届を出すか、出さずに社会人へ進むか決めかねていた。
そんななかで「当てるだけの打撃では上のレベルで通用しない」と、強く振り切るスイングを磨いてきた。その成果で今春のリーグ戦では3本塁打(今秋も1本塁打)を放つなど、シュアな打撃に力強さも加わった。
9月20日にプロ志望届を提出した。「周りの後押しもあって、決意できた」。山崎は引き締まった表情で話した。東都のヒットメーカーは100安打の実績を手土産に、運命のドラフトを待つ。(取材・文=佐伯要)
■山崎剛 東都大学リーグ打撃成績 14春 2試合 1打数0安打0本0点 .000(-)
14秋 2試合 4打数2安打0本0点 .500(-)
15春 8試合 30打数12安打0本3点 .400(1位)
15秋 12試合 48打数19安打0本1点 .396(2位)
16春 13試合 51打数16安打0本7点 .314(15位)
16秋 14試合 63打数20安打0本1点 .317(11位)
17春 13試合 62打数20安打3本5点 .323(16位)
17秋 11試合 41打数11安打1本2点 .268
通算 75試合 300打数100安打4本19点 .333
※10月12日現在 PROFILE やまさき・つよし●1995年12月29日生まれ。福岡県出身。172cm73kg。右投左打。飯倉小1年時から田隈ジュニアで野球を始め、投手と捕手。原中では城南サンボーイズで二塁手。日章学園高では1年秋から二塁手のレギュラーで2年秋、3年春は県大会優勝(九州大会2回戦敗退)。3年夏は県大会3回戦敗退。国学院大では1年春から出場し、二塁手の定位置を獲得した2年春は打率.400で首位打者。3年時は侍ジャパン大学代表で日米大学選手権出場。