
2003年夏、木内監督は常総学院高を初の夏の甲子園優勝へと導き、深紅の大旗を手にした[写真=BBM]
甲子園歴代7位通算40勝の名将逝く――
11月25日、都市対抗野球大会の第1試合(東京ドーム)。日本製鉄鹿島を率いる中島彰一監督(東洋大)は、特別な思いで1回戦(対三菱重工
広島)を指揮した。試合前夜に恩師の訃報。取手二高、常総学院高を指揮し、甲子園3度の優勝実績がある木内幸男氏が24日、死去した。89歳だった。
1984年夏、右腕・
石田文樹(元大洋ほか)とバッテリーを組み、全国制覇を遂げた正捕手が中島監督。日本製鉄鹿島の先発を務めたのは、常総学院高出身の
飯田晴海(東洋大)だった。試合は6対7で惜敗し、勝利を送り届けることはできなかった。中島監督は言う。
「OBとは『みっともない試合はできない』と話していました。最後まであきらめない姿勢は見せられた。飯田には? あえて言わずに『頑張ろう!』と。木内監督がつないでくれた縁です」
この試合、3回途中3失点で降板した飯田は、恩師との思い出を語った・・・
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